穂積五一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ほづみ ごいち
穂積 五一
生誕 1902年3月26日
愛知県八名郡能登瀬村(現・新城市能登瀬)
死没 (1981-07-17) 1981年7月17日(79歳没)
東京都文京区
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学法学部
職業 社会教育家
家族 父・鈴木麟三(帝国議会議員)
弟・穂積七郎(衆議院議員)
妻・文子 (旧姓 池田・ 御木本幸吉の孫) 

穂積 五一(ほづみ ごいち、1902年3月26日 - 1981年7月17日)は、日本の社会教育家。アジア学生文化協会、アジア文化会館の創設者として知られる。アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどから2万人を超える留学生を受け入れ、国際交流に貢献した[1]

経歴[編集]

愛知県八名郡能登瀬村(現・新城市能登瀬)に生まれる[2][3]。父親は帝国議会議員を1期務めた鈴木麟三[4]。弟に日本社会党衆議院議員穂積七郎がいる。幼くして1904年6月27日に父を亡くし[5]、母とともに生家を追われる。鹿児島市第七高等学校造士館を卒業後、1926年東京帝国大学に進学[6][7]

1925年(大正14年)、上杉慎吉を中心とする思想団体「帝大七生社」が結成され、穂積は同団体において会員の育成にあたった。1929年(昭和4年)、東京帝国大学法学部を卒業した年に上杉が死去。1932年(昭和7年)2月から3月にかけて血盟団事件が発生するが、帝大七生社の会員のうち4名が事件に関与、逮捕されている。同年、帝大七生社の学生宿舎である「至軒寮」を東京市本郷区に開設した[8]

1940年(昭和15年)8月、三上卓らとともに「皇道翼賛青年連盟」を結成した。満州移民に反対し、朝鮮と台湾の解放を唱え、朝鮮の独立運動家をかくまい、日米開戦後は「反東条」を掲げて戦争終結の道を探った[6]

1945年(昭和20年)、敗戦を機に至軒寮は「新星学寮」と改称。間もなく公職追放となる[9]

追放解除後の1957年(昭和32年)3月、新星学寮に東大アジア学生友好会を結成。留学生との交流活動を開始する。同年9月、文部省所管の財団法人としてアジア学生文化協会を設立。穂積は寮を守り続け、官途にもつかず、国内外の青年たちの訓育に生涯を捧げた[10]。自宅も「新星学寮」と同じ敷地(文京区本郷6丁目)に構えた[2]。至軒寮・新星学寮からは村山富市[11]稲葉圭亮[12]岡崎英城[12]田中宏丸谷金保金丸三郎[12]山本富雄[12]塚本三郎[13]杉浦正健[14]などの人物が輩出された。

1959年(昭和34年)8月、通商産業省の要請により海外技術者研修協会(現・海外産業人材育成協会)を設立し、理事長に就任。1960年(昭和35年)6月、アジア文化会館を設立[8]

1975年(昭和50年)10月、アジア学生文化協会が国際交流基金の「国際交流奨励賞」を受賞[1][8]

1981年(昭和56年)7月17日東京医科歯科大学医学部附属病院肺炎のため死去[2]。79歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『20世紀日本人名事典 そ~わ』日外アソシエーツ、2004年7月26日、2250頁。
  2. ^ a b c 中日新聞』1981年7月19日付朝刊、23面。
  3. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典』23 愛知県、角川書店、1989年、1048頁。ISBN 978-4-04-001230-8
  4. ^ 朝日新聞』1999年1月3日付朝刊、31面、「『主義』に生きた若き日々」。
  5. ^ 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年、337-338頁。
  6. ^ a b 「特集 東京へテロトピア」 『新潮』2014年2月号、241頁。 (PDF)”. 公益財団法人アジア学生文化協会. 2018年2月21日閲覧。
  7. ^ “百年のこと 第一部 家族写真 (2) 「主義」に生きた若き日々 情熱と過ち・・・父も子も”. 朝日新聞: p. 31. (1999年1月3日) 
  8. ^ a b c 沿革”. www.abk.or.jp. アジア学生文化協会. 2019年11月30日閲覧。
  9. ^ 公職追放の該当事項は「皇道青年翼賛連盟常務委員」。(総理庁官房監査課編 『公職追放に関する覚書該当者名簿』 日比谷政経会、1949年、135頁。NDLJP:1276156 
  10. ^ 日経新聞主催「アジアの未来」 杉浦副大臣講演 平成13年6月7日 | 外務省ホームページ
  11. ^ 日本経済新聞』1996年6月7日付朝刊、40面、「社会民主党党首村山富市氏(7)至軒寮――寮長の穂積先生敬慕(私の履歴書)」。
  12. ^ a b c d 杉浦正健編著『和して同ぜず―杉浦正健対談集』シーダー企画、1996年2月1日、22頁。
  13. ^ 佐高信 (2014年8月4日). “自民党の曲者さえ惚れさせた村山富市”. ダイヤモンド・オンライン. http://diamond.jp/articles/-/56975?page=3 2018年2月21日閲覧。 
  14. ^ 杉浦正健『あの戦争は何だったのか』文藝春秋企画出版部、2014年12月15日、217頁。

参考文献[編集]

  • 穂積五一先生追悼記念出版委員会『アジア文化会館と穂積五一』影書房、2007年7月。

外部リンク[編集]