稲孫

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イネの稲孫

稲孫(ひつじ・ひつち・ひづち)は、稲刈りをした後の株に再生したである。いわば、稲の(ひこばえ)である。二番穂とも呼ばれる。稲刈り後もしくは穂刈り後に放っておくと、再び穂が出る。穭稲(ひつじいね)・穭生(ひつじばえ)ともいい、稲刈りのあと穭が茂った田を穭田(ひつじだ)という。

稲の生殖細胞減数分裂の際の気温が約18-20を下回ると不稔となることがある[1]ため、温帯以北において秋以降に生じる穭は、穂の中身が入っていないことも多い。二十一世紀の日本においては、稲刈りはせず田に鋤きこまれるが[2]、過去においては農民の貴重な食糧源になっていた時代がある。低緯度地方では稲孫でも中身が入るため、東南アジアでは、イネを一回収穫し、2,3か月してからさらに収穫する「ヒコバエ育成農耕」という農耕がある。佐々木高明によれば、ヒコバエが中身を入れた状態で結実する久米島奄美大島等で、旧暦の12月に播種、1月に移植(田植え)し、6~7月に通常の収穫をしたまま家畜に踏ませ、8月~9月にマタバエ、ヒッツ、ヒツジと呼ばれる稲孫の収穫をする農耕文化が1945年まで行われていた[3]。また佐々木の調査によれば、与那国島で同様の農耕が1981年まで行われていたという。

佐々木は『日本書紀』に、現種子島で、稲を「一度植え、両収」するという記事をヒツジ育成栽培の証拠としている[4]

15世紀に沖縄諸島へ漂着した朝鮮人の文献に、このような農耕を行う旨があることから、その当時から行われていたらしい[5]

俳句においては秋の季語である。[6]

脚注[編集]

  1. ^ 図説:低温に弱い稲の生育ステージ 農研機構 2018年9月17日閲覧
  2. ^ 稲刈りしたはずなのに tenki.jp(2016年11月3日)2019年10月18日閲覧
  3. ^ 佐々木『南からの日本文化 上』NHKブックス p125
  4. ^ 佐々木『日本文化の多様性』小学館 p152 天武天皇10年(681年)八月の条
  5. ^ 佐々木『日本文化の多様性』p149
  6. ^ 季寄せ角川学芸出版、P357、ISBN 978-4-04-621968-8