秋田犬

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秋田犬
秋田犬
愛称 日本秋田犬
原産地 日本の旗 日本秋田県
特徴
体重 オス 60–90 lbs (27–41 kg)
メス 50–80 lbs (23–36 kg)
体高 オス 25–27 in (64–69 cm)
メス 23–25 in (58–64 cm)
外被 ダブルコート
毛色 ジンジャー、レッド、ブリンドル、またはホワイト、犬の遺伝的変異体の腹部に白い毛皮が付いているものはすべて、黒とグレーを含むことができる
出産数 3-12 匹、平均 7-8 匹
寿命 10 年
イヌ (Canis lupus familiaris)

秋田犬(あきたいぬ)[1][2]は、秋田県原産の日本犬の一種。天然記念物に指定されている[1]。日本犬種のうち、唯一の大型犬種である。

概要[編集]

アジアスピッツ系の犬種であり、北方を由来とする中型〜中大型犬のマタギ犬(山岳狩猟犬)が祖先である。

日本人の間では忠犬ハチ公のエピソードで有名であり、主人に忠実な家庭犬の品種として、広く知られている。奥羽山脈一帯で狩猟犬として飼育されていたマタギ犬大館地方の地犬を基にして作られた犬であり[3]平成にはいっても秋田県下を中心に家庭犬(ペット)としての愛好者が多い。「あきたけん」と読まれることも多い[4][5]。これを、元々「あきたけん」と読んでいたが「秋田県」と同音であり、混同を避ける目的で呼び分けるようになったためとされている説があるがこれは偶然発音が似たことから後付けされた俗説であり、藩政時代から歴史的に「マタギいぬ」、「おおだていぬ」、「あきたいぬ」と変遷しつつ呼ばれてきた伝統が見直されたものである。一部自治体では「特定犬」に指定され、の中での飼育が義務化されている[6]

明治時代に洋犬との交配による品種改良により大型化している。秋田犬協会1948年-2016年)からヤマザキ学園大学に寄贈された1950年代の昭和25年頃から昭和末期の1980年代にかけて秋田犬を撮影した8ミリフィルム動画438本によると、かつては耳が折れ曲がっていたり、体毛にブチ模様があったりする洋犬の特徴を持った秋田犬がいたことが分かる[7][8]。このように歴史的に他犬種の影響を受けてきた犬種ではあるが、2004年にアメリカ合衆国の研究チームが犬とオオカミでのDNAを比較した調査によると、調査対象になった世界の85種類の犬種の中で、秋田犬はシャー・ペイ柴犬チャウチャウに次いでオオカミに近い犬種であることが判明している[9][10]

特徴[編集]

  • 大型犬で、胴体、肢、は、がっしりとしている。
  • 体長は、体高に比べやや長め[11]
  • 体毛は下毛と上毛の2層構造で、耐寒能力に優れる[11]。下毛は密度が高く、上毛は長さ5cm前後の硬い直毛である[11]
  • 毛色は赤、白、虎、黒、胡麻。ただし、胡麻毛と黒毛は絶滅状態である。
  • 三角の立ち耳、クルリと巻いた巻き尾など[独自研究?]スピッツ系の特徴をもつ。
  • 闘犬や狩猟犬として改良・飼育された経緯から、高い身体能力を備え、力も強い。
  • 飼い主に忠実で、番犬としての適性に優れる[11]
  • 見知らぬ人間や他の犬に対する攻撃性が強く、威圧的な態度をとることもある[11]。保険金支払データ(賠償責任事故)の犬種ごとの事故の発生率を集計したところ、秋田犬が発生率3.7%と最も高く、続いてバーニーズ・マウンテン・ドッグ(2.1%)、ボーダー・コリー(1.2%)となっており、闘犬種ということも有って人間や他の動物に対して危害を加えないように飼育には特に注意が必要である[12]
  • 股関節形成不全、鼓腸症にかかりやすい。また、ホヒトー小柳ー原田病が他の犬種に比べて出現頻度が多いと言われる。

歴史[編集]

古代犬種の系統樹

秋田犬の犬種としての歴史は浅く、品種として確立されてから、まだ100年程しか経ていない。品種として確立されるまでには様々な受難の時代があった。

狩猟犬と闘犬としての利用[編集]

秋田犬の祖先犬は、「秋田マタギ犬(岩手犬」と呼ばれるマタギ犬である。元来、日本犬には大型犬は存在せず、秋田マタギ犬も中型か中型よりやや大きい程度の猟犬であった。江戸時代出羽国北部の秋田地方は、佐竹氏秋田藩)によって治められた。佐竹氏は関ヶ原の戦いでの日和見的な態度により、常陸国から転封された外様大名であり、江戸幕府によって藩内の築城や武力の向上が厳しく警戒された。このため慶長年間の1630年寛永7年)頃より、藩士の闘志を養うためとして闘犬を奨励した。佐竹家では久保田城の佐竹宗家を中心として、一族の東家、西家、北家、南家を、それぞれ久保田城下、大館、角館湯沢に配した。佐竹西家(小場家)の治める大館地方では特に闘犬が盛んとなり、体が大きく強い犬を望む人々の手によってマタギ犬と土着犬などの交配が行われ、秋田犬の原種となった。当時は秋田藩内でもタイプに地域差があり、この犬は県北の大館・能代地方の「大館犬(おおだでいぬ)」と呼ばれるものであった。

時代が移っても秋田の闘犬熱は衰えず、明治時代になると、他の地方の犬種や外国産の大型犬種との交配が積極的に行なわれるようになった。1897年(明治30年)頃からは、秋田と並んで闘犬の盛んであった高知県から土佐犬(四国犬)が入ってきており(その後、土佐犬は洋犬と交配で大型化する)、さらに日清戦争以降は、南樺太へ渡った人たちが持ち込んだ樺太犬北海道犬も入っている。

一方、洋犬種としては、まず大館に近い小坂銅山ドイツ人技師の飼い犬であったマスティフと思われる犬と、明治中期以降には、ジャーマン・シェパード・ドッググレート・デーンなどとの交配も行われた。これによって立耳、巻尾といったスピッツタイプ本来の特徴が失われた犬は旧来の秋田マタギに対して「新秋田」と呼ばれた。

江戸、明治と盛んに行われた闘犬も、明治末の1908年(明治41年)に至り、社会的弊害に鑑みて、ついに秋田県下に闘犬禁止令が発令された。警視庁が闘犬・闘鶏闘牛を全国で禁止するのが1916年(大正5年)7月26日のことであり、それに8年も先駆けての禁止令は、県下での白熱ぶりを偲ばせる。洋犬との雑化によるタイプの乱れに、闘犬禁止令、洋犬人気の高まりなどが重なって、秋田犬にとっては不遇の時代がしばらく続いた[13]

再作出への取り組みと天然記念物指定[編集]

大正時代に入る頃から、学識者や関係者によって、「秋田犬を保存すべし」という世論が高まりを見せた。保存運動の中心となったのは、雑化を危惧した当時の大館町長(泉茂家)らである。このような動きは秋田犬に限ったことではなく、明治期の舶来文物偏重や交通の自由化等による洋犬等との雑化と、その反動としての保存運動は、全国の日本犬に関する共通の動きだった。

このような流れの中、1919年(大正8年)には、種族保護に関する法律、すなわち天然記念物保存法が発布された。同法の制定に向けて中心となって動いた渡瀬庄三郎は、当時の「日本犬保守運動」の中心人物でもある。渡瀬らは翌1920年(大正9年)、内務省の視察団として、秋田犬の調査のために大館町(現・大館市)を訪れたが、この時はタイプの雑化が甚だしく、天然記念物への指定には至らなかった。渡瀬は1922年(大正11年)の動物学会において 「日本犬の起源に就いて」と題する発表を行ったが、一番の議論の焦点は秋田犬であったという。

これ以後、同好者による秋田犬の繁殖改良・再作出への取り組みはいっそう勢いを増し、大舘町長は自身が所有していた純血の秋田犬雄1匹と、周辺の純血の雌犬4匹を交配させ、さらにかつて町長が山形県知事に贈った雄犬の元にも雌犬を連れて行き交配させるなどした。

1927年(昭和2年)5月には、町長らによって「秋田犬保存会」が設立された。日本犬保存会が東京に 設立されたのは、これより1年遅い1928年(昭和3年)6月のことである。

保存会の設立以降、秋田犬復興への取り組みはいよいよ本格的になり、1931年(昭和6年)春の、鏑木外岐雄らによる再調査を経て、同年7月31日、9頭の優秀犬が、「秋田犬(あきたいぬ)」として国の天然記念物としての指定を受けるに至った。これは日本犬としては初の天然記念物指定である[2]

この1年後の1932年(昭和7年)10月4日、帰らぬ主人・上野英三郎東京帝国大学教授)を渋谷駅で待ち続ける秋田犬「忠犬ハチ公」が、日本犬保存会初代会長である斎藤弘吉の寄稿によって「いとしや老犬物語」として『朝日新聞』に報道され、注目を集めた。2年後の1934年(昭和9年)4月には、東京渋谷の駅頭でハチ公像が除幕されている。ハチ公は翌1935年(昭和10年)3月8日に11歳4か月で死亡したが、主人に忠実な秋田犬は、忠犬ハチ公の名とともに、ますます世に知られることになった。この1934年(昭和9年)頃から、秋田犬保存会は犬籍登録を実施。1938年(昭和13年)には「秋田犬標準」も制定され、展覧会も開催されるようになったが、これは太平洋戦争の勃発によって、一時中断されることとなった。

戦中の受難と戦後の混乱[編集]

日中戦争から太平洋戦争に至る時代の食糧不足、ことに大戦末期と終戦後の深刻な食糧難は、大型犬である秋田犬の保存に甚大な被害を与え、秋田犬の数は激減した。餌として与えるものも、ワラビノリカタクリ澱粉、野菜類など、植物質のものがほとんどであり、どうにか生き延びても子が生まれなかったり、生まれた子犬も栄養失調でうまく育たず、ようやく育っても、ジステンパー等の病気によって多くが死んだりしたという。

大型犬であればその分必要とする食料も多くなるため、犬に餌をやるだけでも国賊呼ばわりされたという時代であった。大きな犬は目を引く分、風当たりも強かった。戦時下では、軍用の防寒衣料として犬の毛皮を使用したため、軍用犬となるジャーマン・シェパード・ドッグ以外の犬には捕獲命令が出されていた。その捕獲を逃れる目的で、ジャーマン・シェパード・ドッグを交配したことが、秋田犬の純化を後退させることともなった。

1945年(昭和20年)の終戦の時点では、血統の正しい秋田犬は、愛犬家の非常な努力により残された、わずか十数頭に過ぎなかった。これらの犬を土台として、戦後再び純血種としての繁殖固定が行われた。

太平洋戦争開戦以前の1937年(昭和12年)7月頃、来日していたヘレン・ケラーが秋田を訪れ、秋田犬を所望した。翌月に彼女に贈られた「神風号」は、初めてアメリカに渡った秋田犬である。神風号はその後ジステンパーで死亡したが、1939年(昭和14年)7月、今度は神風号の兄犬である「剣山号」が贈られている。

戦後になってケラーの犬のニュースが広まり(彼女は1948年(昭和23年)の再来日時に秋田を再訪して謝意を表している)、また当時日本を占領していた連合国軍のアメリカ軍兵士らが体が大きく愛らしい顔つきの秋田犬を好んで飼ったことや、戦後混乱期に番犬としての需要が高まったことが相まって、秋田犬はちょっとしたブームとなった。このため、この時代は、雑種化したものまでが高い値段で売られ、1955年(昭和30年)頃までは、様々なタイプの「秋田犬」が繁殖・販売されたという。

この当時広く出回った、太く大きく雄大ではあるが、顔・色・体の造り等に、戦時中に交雑したジャーマン・シェパード・ドッグの特徴を半ば残しているものを、「出羽系」と呼んでいる。この頃、全犬種団体共同の展覧会でトップになった「金剛号」も出羽系であり、秋田犬保存会においてさえ、金剛号の子で同じ出羽系の 「金朝号」が名誉章を受賞している。出羽系には繁殖力の強さもあり、昭和20年代を通して、秋田犬界を席巻する勢いがあった。

しかし、その一方では、わずかな純血種の個体を土台として、マスティフやジャーマン・シェパード・ドッグ等の外来犬の特徴を除去して本来の秋田マタギ犬に近づける努力が、保存会を中心に続けられた。改良、繁殖、指導への取り組みが実を結び、大型犬種としての固定化が実現したが、1955年(昭和30年)頃からは、この「一ノ関系」が秋田犬の主流となった。やがて出羽系の犬は、国内ではほぼ完全に排除されることとなった。

一方、占領軍兵士の帰国とともにアメリカに渡った当時の「秋田犬」の子孫は、現在「アメリカン・アキタ」として、アメリカを始め、世界各地に広がっているが、これらはほぼすべてが出羽系の血統であると言ってよい。多くの地域では、その当時の犬の子孫がそのままに飼われており、かつての占領軍兵士は秋田犬の中でも特に体格の良い、いわゆる「熊顔」型の秋田犬を持ち帰ったことより、一ノ関系が主流となった日本の秋田犬とは外観などがかなり異なっているので、独自の犬種と見なされている。

例外的に、アメリカ西海岸のみは、1969年(昭和44年)に秋田犬保存会の支部が作られ、毎年の展覧会や継続的な指導の結果、日本と変わらなくなっている。

現代[編集]

その後、秋田犬は全国的に飼育されるようになり、2010年代に至っている。1977年(昭和52年)には、秋田犬保存会創立50年を記念して[14]、日本の犬種団体では唯一の博物館機能を持つ「秋田犬会館」[15]が大館市に建設された。

秋田犬は、観光客誘致のシンボル的存在として扱われることもあり、2016年に大館市で発足した観光地経営組織(DMO)は「秋田犬ツーリズム」と命名された[16]

2018年4月には、飼い主の死去などで放棄された秋田犬の新しい飼い主探しなどの拠点「秋田犬ステーション」がエリアなかいち(秋田市)に開設された[17]

秋田犬は飼い主以外の市民や観光客にも人気がある。秋田県内の展示施設は2018年に7カ所増えて12カ所となった。公開されている犬の過労やストレスといった問題も起きており、施設の運営団体などが2018年10月に「秋田犬ネットワーク会議」を設立して、ノウハウの交換や、犬の負担が少ないふれあい方の情報発信などに取り組んでいる[18]

畜犬団体[編集]

秋田犬の畜犬団体は以下の通り。背景が灰色の団体は現在活動していない。

団体名 通称 所在地 備考
秋田犬保存会 秋保 秋田県大館市
秋田犬保存協会 秋保協 秋田県大館市[19] 1961年に秋保と合併[19][14]
秋田犬協会 秋協 神奈川県鎌倉市 2016年に解散[8]

品評会[編集]

5月3日に開催される品評会では、審査基準として「尻尾が円を描く」「歯並び」「耳が立つか」など60項目が存在する。

モチーフ[編集]

1953年発行の2円切手

ラッピング車両「秋田犬っこ列車」

贈呈[編集]

ザギトワらと秋田犬「マサル」(2018年5月)

その他[編集]

  • 1972年、秋田犬がポメラニアンを噛み殺した事件で「秋田犬は一般にどう猛で人や動物を襲いやすく飼育が困難」として賠償が認める判決が東京地方裁判所であった。判決に対し秋田犬保存会は、裁判官は秋田犬を誤解しているとして抗議文を送っている[27]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 秋田犬(あきたいぬ)”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2016年9月27日閲覧。
  2. ^ a b 秋田犬:あきたいぬ(国指定天然記念物)”. 大館市産業部観光課. 2016年6月2日閲覧。
  3. ^ 天然記念物 種類”. 日本犬保存会 (2015年11月12日). 2018年1月1日閲覧。
  4. ^ 広辞苑第六版では「あきたけん」で採録されている。
  5. ^ 豊島秀雄 (2001年5月1日). “「○○犬」の読み方は「~イヌ」?「~ケン」?”. NHK放送文化研究所. 2019年7月6日閲覧。
  6. ^ 犬の咬傷事故・特定犬について”. 茨城県動物指導センター. 2016年9月27日閲覧。
  7. ^ 「60年前 これも秋田犬/折れ耳・洋犬みたいなブチ…大学に動画」『朝日新聞』、2018年3月14日、夕刊。
  8. ^ a b “これが秋田犬? 60年前の動画には ブチの毛・耳は折れ”. 朝日新聞デジタル. (2018年3月9日). https://www.asahi.com/articles/ASL346GBBL34UCLV004.html 2018年4月21日閲覧。 
  9. ^ Parker, H.G.; Kim, L.V.; Sutter, N.B.; Carlson, S.; Lorentzen, T.D.; Malek, T.B.; Johnson, G.S.; DeFrance, H.B.; Ostrander, E.A.; Kruglyak, L. (2004-05-21). “Genetic structure of the purebred domestic dog”. Science 304 (5674): 1160. doi:10.1126/science.1097406. PMID 15155949. http://www.britainhill.com/GeneticStructure.pdf. 
  10. ^ Derr, Mark (2004年5月21日). “Collie or Pug? Study Finds the Genetic Code”. The New York Times. http://www.nytimes.com/2004/05/21/science/21dog.html?ex=1400472000&en=6b49c839cde80d81&ei=5007&partner=USERLAND 2016年6月2日閲覧。 
  11. ^ a b c d e 秋田”. 犬種図鑑 犬種大百科. アニマルプラネット. 2016年10月7日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年9月28日閲覧。
  12. ^ “ペット(犬)の賠償責任事故、保険金支払は平均10万円(対人)を超える!” (プレスリリース), アニコム損害保険, (2011年5月2日), http://www.anicom-sompo.co.jp/company/news/news_0110502.html 
  13. ^ 秋田犬(あきたいぬ)とは”. コトバンク. 2016年9月27日閲覧。
  14. ^ a b 年譜表”. 秋田犬保存会. 2019年7月6日閲覧。
  15. ^ 秋田犬保存会”. 2019年7月6日閲覧。
  16. ^ 「秋田犬ツーリズム、3年間の経済効果41億円」日本経済新聞ニュースサイト(2020年2月19日)2020年3月29日閲覧
  17. ^ “秋田)エリアなかいちに「秋田犬ステーション」オープン”. 朝日新聞デジタル. (2018年4月16日). https://www.asahi.com/articles/ASL4H5J2XL4HUBUB005.html 2018年5月10日閲覧。 
  18. ^ 「秋田犬「接客」で過労 ブームで展示施設急増/ストレス対策 営業減らす」『読売新聞』、2018年11月14日、夕刊、10面。
  19. ^ a b “平成21年12月定例会” (pdf). 3. 大館市議会. (2009-12-08). p. 98. http://www.city.odate.akita.jp/dcity/sitemanager.nsf/image/2F4B6A804C09821A492575A900225584/$FILE/21.12no3.pdf 
  20. ^ 平成18年用の年賀はがき及び年賀切手の発行”. 日本郵便. 2015年8月31日閲覧。
  21. ^ プーチンロシア大統領への秋田犬の贈呈について”. 秋田県企画振興部国際課 (2012年7月28日). 2016年9月27日閲覧。
  22. ^ “白鵬一家がモンゴルへ帰国、秋田犬「真羽」も一緒に”. 日刊スポーツ. (2017年7月25日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1861341.html 2018年6月2日閲覧。 
  23. ^ “ザギトワ選手に贈る秋田犬「マサル」がロシア到着”. 産経新聞. (2018年5月26日). https://www.sankei.com/world/news/180526/wor1805260038-n1.html 2018年5月26日閲覧。 
  24. ^ “ザギトワ選手とマサル対面、顔なめてあいさつ”. 朝日新聞. (2018年5月26日). https://www.asahi.com/articles/ASL5V1PD7L5VUTFK002.html 2018年5月27日閲覧。 
  25. ^ Церемония вручения «Масару» Алине Загитовой. Sports.ru. (2018年5月26日). https://www.sports.ru/tribuna/blogs/hotvideos/1714349.html 2018年5月27日閲覧。 
  26. ^ “朝青龍に秋田犬「マサオ」 保存会贈呈、モンゴルで”. サンケイスポーツ. (2018年7月10日). https://www.sanspo.com/geino/news/20180710/sot18071021590016-n1.html 2018年8月11日閲覧。 
  27. ^ 「青鉛筆」『朝日新聞』昭和47年8月1日.19面

関連項目[編集]

外部リンク[編集]