福島関所

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座標: 北緯35度85分06.9秒 東経137度70分25.4秒

木曾街道六拾九次 福島(歌川広重画)

地理院地図 Googleマップ 福島関所の位置

福島関所(ふくしませきしょ)は、中山道にあった関所の一つ。諸国関所一覧表によると、福島(福島関所)は、所在地が信濃国筑摩郡で、管理者が山村甚兵衛、管理者身分が尾張藩代官であった。また、関所の最重とされ、東海道の今切関所箱根関所と同等の扱いであった[1]。現在は長野県木曾郡木曽町福島。関所は、宿場の北入口にあった。

福島関所の設置[編集]

木曾福島関所の設置時期には諸説あり、慶長7年(1602年)、慶長8年(1603年)、慶長9年(1604年)、または慶長7年以前とする説、大阪の陣の頃との説がある[2]

『心計記』によると、妻籠口留番所がおかれていたが、関ケ原以降の交通整備により福島に移転した[3]元和9年(1623年)に、福島関所は妻籠口留番所に代わって本格的な関所が置かれた[3][✝ 1]

御関所は慶長の頃まで、急度は之れなく、つまごに口留番所と申し、石川備前代より之れ有の由、関ケ原大坂御勝利、天下一統御泰平に罷り成り候て、国々の往還道筋、宿並びに関所等も極り候節、福島へ引候て、中山道にて福島碓氷両所の御関所と定まり候由

— 『心計記』、家高荒治郎著『木曽福島関所』、(大島(1995)150-151頁。所収)

福島関所の所在地[編集]

福島関所の図、(福島関嗌『木曽路名所図会』に拠る。)

福島関所の所在地は、木曾谷のほぼ中央、駒ヶ岳の北支脈が木曾川に迫る突端の根の井山(関山)麓の崖上にある[✝ 2]。木曽福島関所の所在地については、「木曽路名所図会」に示されている[3]

信濃福島

宮越まで一里半、駅中東西七町、相対して巷をなす。其の余間に散在す。木曽谷中第一豊饒の地なり。当駅京都江戸等分の地なり。京より福島まで六十七里、福島より江戸まで六十八里なり。


— 『木曽路名所図会』、大島(1995)151-152所収。

福島関所の改め[編集]

福島関所の管理[編集]

福島関所を支配したのは山村家であった[4]

「入鉄炮出女」[編集]

木曾福島の改めは、以下の「諸国御関所改方之次第」に示されている[5]。また、「木曽路名所図会」によると、「入鉄炮出女」の検閲が東海道今切関所(荒井)並みと記されている[6]

信州福島 高札之れなし 山村甚兵衛

一 女・禅尼・尼・此丘尼・髪切・小女・乱心 男女とも・手負 男女とも・囚人 男女とも・首 男女とも・死骸 男女とも

右の通り相改め、御留守居方証文にて相通し候由、ただし国々より下り候時は諸国奉行中証文をもって相通す。二条大坂在番の面々ならびに家来乱心手負等下り候時は、御番頭手形にて相通す

一 鉄炮の儀、江戸え入り候数箇は、御老中御証文をもって通し候、持筒は自分手形をもって相通候由、此の外武具類相改めず

但し二条大坂等え御用にて罷り越候面々は登りの節、員数証文取置き、下りの節引合せ通す。且つまた、上方え出候鉄炮にても、所替等にて出候時は、御老中御証文をもってあいとおし候由

一 夜中御用の継飛脚の外は相通さず、但し諸大名・早追の飛脚は断りこれ有り候えば相通す

一 福島御関所より七里脇、贄川と申す所にて江戸え下り候女、改め申し候、鉄炮は相改めず。是は福島御関所通り申さず候て、飛騨より木曾路への脇道にて、旅人往来これ有るに付添え番所申し付け置候由、女ハ一切通さず候由


— 「諸国御関所改方之次第 風来書」より、、大島(1995)、154-155頁。
福島関嗌

駅の右の方に御番所あり、此の所、女と鳥銃(てっぽう)とを御改め、遠州荒井の如し


— 『木曽路名所図会』、大島(1995)151-152所収。

贄川番所[編集]

木曾路が山間の脇路が多いこともあり、福島関所を補った贄川の添番所があった[5]。福島関所の添番所として贄川番所は「入女」を改め「出女」は手形の有無を改めたが、「鉄炮」は改めていなかった[7]。諸国関所一覧表によると、贄川は信濃国伊那郡にあり、管理者は山村甚兵衛、管理者身分が尾張藩代官で、関所の役割は重としている[1]

関所の廃止[編集]

慶応3年(1867年)明治の政変により。関所は「入鉄炮出女」が緩和された。その後、大政奉還に伴い関所の警衛を厳しくするよう命じられていた[8]

明治2年(1869年)廃関の令によって木曽福島関所を含む全国の関所が廃止された[9]

関所の復元と史跡指定[編集]

福島関所跡は、寛文8年(1688年)頃の古絵図、2次にわたる発掘調査により、番所敷地及び諸施設(番所・門・塀・棚等)の配置が確認された[✝ 2]。昭和54年(1979年)に福島関所跡は、「江戸幕府の交通政策史上における遺構として極めて重要なものとして、旧中山道に接する家中屋敷部分を含め関所跡」、として「福島関跡」の名称で国の史跡に指定された[✝ 2]。福島関所に関する資料は福島関所資料館で展示している[✝ 3]

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ 寛永2年とする説もある(大島(1995)151頁。)。
  2. ^ a b c 福島関跡”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2017年1月14日閲覧。
  3. ^ 福島関所資料館”. 木曽広域観光サイト. 木曽観光連盟. 2017年1月14日閲覧。
出典
  1. ^ a b 渡辺(1992)、266頁。
  2. ^ 大島(1995)、150頁。
  3. ^ a b c 大島(1995)、151頁。
  4. ^ 大島(1995)、155頁。
  5. ^ a b 大島(1995)、153頁。
  6. ^ 大島(1995)、151-152頁。
  7. ^ 大島(1995)、154頁。
  8. ^ 大島(1995)、163-164頁。
  9. ^ 大島(1995)、164頁。

参考文献[編集]

文献

  • 児玉幸多 著『中山道を歩く』中公文庫 1988年 ISBN 4-12-201556-1
  • 大島延次郎「木曾福島の関所」『改訂版 関所』、株式会社新人物往来社、1995年、150-165頁。
  • 渡辺和敏「第三編 近世の交通 四 関所と番所」、『日本交通史』、児玉幸多編、吉川弘文社、1992年、262-288頁。

ウェブサイト

  • 福島関跡”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2017年1月14日閲覧。
  • 福島関所資料館”. 木曽広域観光サイト. 木曽観光連盟. 2017年1月14日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 福島関所跡”. さわやか信州旅.net:長野県公式観光Webサイト. (一社)長野県観光機構. 2017年1月14日閲覧。
  • 福島関所跡・福島関所資料館”. 長野県の芸術・文化情報センター 公益財団法人 八十二文化財団. 公益財団法人 八十二文化財団. 2017年1月14日閲覧。