福士氏
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福士氏(ふくしし)は鎌倉時代から戦国時代に活動していた氏族。南部氏の家臣であり、三上、安芸、桜庭の三氏と並んで譜代の家柄で、「南部四天王」と称された。
概要[編集]
新羅三郎義光の四男・実光を祖とする。 室町時代には南部氏に命じられて不来方城(慶善館・淡路館)を置いた。明徳2年(1391年)8月、福士政長は将軍足利義満に不来方を賜り下向し、不来方城初代城主となった。政長は隠居後慶善に改名、これが現在の盛岡城跡の慶善舘の由来になっている。また、東顕寺は福士氏が開基の寺院であると伝えられる[1]。南部氏は福士氏を目代として不来方の支配を図った。
福士氏は九戸氏と親戚関係にあり、このため九戸政実の乱の後は不来方城主の地位を失っている。不来方城はその後改築され盛岡城になっていった。 その後、福士氏は八戸藩士となり八戸の大慈寺の建設に携わっている。
参考文献[編集]
- ^ “■〈古文書を旅する〉29 工藤利悦 「岩手の諸士」”. 盛岡タイムズ (2004年9月24日). 2011年5月20日閲覧。