福原広頼

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福原 広頼(ふくばら ひろより、天和3年(1683年) - 正徳4年3月11日1714年4月24日))は、長州藩永代家老・宇部領主福原家16代。

父は福原広俊。母は内藤就勝養女。弟は福原広泰。正室は宍戸就宗の娘。通称は権平、和泉、隠岐。

生涯[編集]

天和3年(1683年)長州藩家老福原広俊の子として生まれる。元禄8年(1695年)父の死去により家督相続。藩主・毛利吉広より偏諱を受けて広頼と名乗る。元禄10年(1697年)領内琴崎八幡宮の社殿を修復する。正徳元年(1711年中御門天皇即位式の祝賀使を務める。

正徳4年(1714年)3月11日卒。享年32。家督は大野毛利家に養子入りしていた弟の毛利広為(福原広泰)が帰家して相続した。

参考文献[編集]