禅昌寺 (下呂市)

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禅昌寺(ぜんしょうじ)
Zensyouji001.JPG
禅昌寺 遠景
所在地 岐阜県下呂市萩原町中呂1089
位置 北緯35度50分46秒
東経137度13分45秒
座標: 北緯35度50分46秒 東経137度13分45秒
山号 龍澤山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来・観世音菩薩・薬師如来
創建年 1528年 または 1532年
開山 明叔慶浚
開基 三木直頼
札所等 益田西国三十三霊場 33番
新四国飛騨八十八霊場 68番
中部四十九薬師霊場 38番
地図
禅昌寺 (下呂市)の位置(岐阜県内)
禅昌寺 (下呂市)
法人番号 8200005010644
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禅昌寺(ぜんしょうじ)は、岐阜県下呂市にある臨済宗妙心寺派の別格寺班で、寺格は十刹。山号は龍澤山(りょうたくざん)。本尊は釈迦如来観世音菩薩薬師如来。飛騨の戦国大名・三木(みつき)氏の菩提寺。

歴史[編集]

龍澤山禅昌寺は、享禄元年(1528年)または 天文元年(1532年)に、飛騨国益田郡萩原郷の桜洞城主・三木直頼(みつきなおより)により、三木氏の一族出身といわれる杲天宗恵(こうてんそうけい)を創建とし、大雄山円通寺の住持・明叔慶浚(みんしゅくきょうしゅん)大和尚を開山として創建された。創建地は、桜洞城近辺説と、現在地の中呂説がある。天文23年(1554年)に、後奈良天皇から「十刹」の綸旨が与えられた。その後、一旦廃絶したとの説もあるが、慶安年中(1648年 - 1652年)に中呂の大雄山圓通寺の寺号を禅昌寺と改め、現在に至っている。

円通寺の由来伝承[編集]

禅昌寺の前身である大雄山圓通寺には、次のような由来伝承がある。

その昔、萩原町桜洞(はぎわらちょう さくらぼら)の御前山(ごぜんやま)中腹に恵心僧都源信が開いた寺があり、恵心僧都作の観世音菩薩像があった。南北朝末の永和年中(1375年 - 1379年)、この観音菩薩の霊験を伝え聞いた後円融天皇(北朝)が、懐妊した皇后の安産祈願のために勅使を送ったところ、寺は荒廃し、観音像は岩屋に置かれていたので、京都南禅寺派の名僧・竹処崇園(ちくそすうえん)を開山としてこの寺を再興させ、「大雄山円通寺」の山号寺号と「天下十刹」の綸旨を授けて勅願所とした。その後、兵火で円通寺は荒廃し「天下十刹」の綸旨は焼失したが、観音像は難を逃れた。現在、禅昌寺の円通閣に安置されている「岩屋観音」が、その観音像である。

恵心僧都云々は伝承にすぎず信憑性はないが、円通寺が永和3年(1377年)に創建されたことは史実と認められている。円通寺の創建地は、長年「萩原町桜洞」とされていたが、近年の研究で、禅昌寺の現在地である「萩原町中呂」に修正された。

禅昌寺の由来に関する諸説[編集]

禅昌寺の創建年、創建地、円通寺との関係、慶安年中(1648年 - 1652年)に中呂円通寺を禅昌寺と改めるまでの経過については、諸説あって確定していない。 創建年は「享禄元年(1528年)」説と「天文元年(1532年)」説とがあり、創建地は「桜洞」説と「中呂」説に分かれる。また、円通寺との関係では「一寺二称」説と「二寺並存・統合」説に、経過については「一貫存続」説と「一時廃絶」説に分かれる。これらは複雑にからんでいるが、大きく次の4説に整理できよう。

本堂

(1)円通寺桜洞創建・禅昌寺桜洞創建中呂移転説 (『飛州志』1745年 長谷川忠崇)

  • 往古(平安時代)、恵心僧都(942年 - 1017年)開闢の寺(山寺号不詳)があった。
  • 大雄山円通寺は、永和年中(1375年 - 1379年)に、桜洞に創建された。
  • その後、兵火の為に灰燼(かいじん)と成り、廃寺となった。
  • 享禄元年(1528年)に、三木直頼が円通寺を桜洞に再建し、寺号を禅昌寺と改めた。
  • 天文年中(1532年-1555年)に、中呂に移転した。

『飛州志』(1745年、長谷川忠崇)を整理するとこのようになるが、異なる解釈もある。

(2)円通寺桜洞創建・禅昌寺中呂創建・一貫説 (『益田郡誌』1916年 益田郡役所)

  • 往古(平安時代)、恵心僧都(942年 - 1017年)開闢の寺(山寺号不詳)が桜洞にあった。
  • 永和3年(1377年)、勅命により再建し、改めて「大雄山圓通寺」と名づけた。
  • その後、兵火のために円通寺は焼失した。
  • 享禄元年(1528年)、中呂村に移し大雄山圓通寺を「龍澤山禅昌寺」と改めた。

以上、『龍澤山禅昌寺由緒(鈍渓本)』(天保年間1830年 - 1844年)、『龍澤山禅昌寺略縁起』(1909年)、『益田郡誌』(1916年 益田郡役所編)による。

(3)円通寺中呂創建・禅昌寺中呂創建・一貫説 (『禅昌寺史』1999年 禅昌寺)

  • 大雄山円通寺は、永和3年(1377年)に、中呂に創建された。
  • その後荒廃した円通寺は、享禄元年(1528年)に龍澤山禅昌寺と名を変えて再興された。
  • 寺号を禅昌寺と改めた後も、「円通寺」は通称として使用された。
  • 江戸初期の慶安年中(1648年 - 1652年)に、寺号を禅昌寺に一本化し、現在に至る。

(4)円通寺中呂創建・禅昌寺桜洞創建・二寺並存説 (『萩原町史』2002年 萩原町

  • 大雄山円通寺は、永和3年(1377年)に、中呂に創建された。
  • 龍澤山禅昌寺は、天文元年(1532年)に、桜洞に創建された。
  • 1532年 - 1585年の53年間、中呂円通寺と桜洞禅昌寺が並存していた。
  • 天正13年(1585年)の桜洞城攻防戦で禅昌寺は崩壊し、一旦廃絶した。
  • 江戸初期の慶安年中(1648年-52年)に、中呂円通寺の寺号を禅昌寺と改め、現在に至る。

近年の研究成果を述べた『禅昌寺史』(1999年)と『萩原町史』(2002年)は、「円通寺桜洞創建説は誤伝であり、円通寺は初めから中呂にあった」という点で一致している。また「円通寺は火災にあっていない」という点でも一致している。したがって、現在では、前述の4説のうち、第1説と第2説は誤伝とされ、第3説と第4説が検討の対象となっている。第4説(禅昌寺桜洞創建・一時廃絶説)を採る『萩原町史』は、「桜洞城外至近の距離にあった禅昌寺は、天正13年(1585年)の桜洞城攻防戦で崩壊し、一旦廃絶した」と主張する。 これに対し第3説(禅昌寺中呂創建・一貫存続説)を採る『禅昌寺史』は、「禅昌寺は中呂の円通寺が寺号を改称したものであり、移転したことも一時廃絶したこともない」と主張する。 なお、「益田歴史フォーラム2008」において、第3説を発展させた次の最新説が発表された。

(5)寺号交互使用説 (『禅昌寺は桜洞にあったか』2009年 吾郷武日)

  • 大雄山円通寺は、永和3年(1377年)に、中呂に創建された。
  • その後荒廃した円通寺は、享禄元年(1528年)に、三木直頼によって再興された。
  • 天文元年(1532年)に、大雄山円通寺の山号寺号を龍澤山禅昌寺に改めた。
  • 天正13年(1585年)に三木氏が敗北すると、円通寺の寺号を復活させて使用した。
  • 江戸初期の慶安年中(1648年 - 1652年)に、禅昌寺の寺号を復活させ、現在に至る。

歴代住持[編集]

円通寺[編集]

  • 1世・竹処崇園(円通寺開山)1412年(応永19年)寂
  • 2世・崇任?

(数代不明)

  • 再興1世・桃雲宗源(円通寺再興開山)
  • 再興2世・仁芳宗智
  • 再興3世・明叔慶浚(禅昌寺開山)

禅昌寺[編集]

  • 1世・明叔慶浚(禅昌寺開山)1552年(天文21年)寂
  • 2世・杲天宗恵(禅昌寺創建)1543年(天文12年)寂
  • 3世・仁谷智腆 1556年(弘治2年)寂
  • 4世・希菴玄密 1572年(元亀3年)寂
  • 5世・功叔宗輔 1609年(慶長14年)寂
  • 6世・玉雲宗麟 1624年 - 1644年(寛永年中)
  • 7世・香道超雲 1656年(明暦2年)寂

(以下略) 現住職は、第27世

末寺(郡内11寺院)[編集]

  • 吉田山長谷寺(下呂市小坂町小坂町)
  • 閑水山龍泉寺(下呂市萩原町上呂)
  • 諏訪山大覚寺(下呂市萩原町上村)
  • 恵日山東禅寺(下呂市東上田)
  • 醫王山温泉寺(下呂市湯之島)
  • 瑞泉山泰心寺(下呂市森)
  • 神護山慈雲院(下呂市乗政)
  • 金錫山地蔵寺(下呂市宮地)
  • 巌谷山阿弥陀寺(下呂市御厩野)
  • 功明山東泉寺(下呂市火打)
  • 神亀山万福寺(下呂市金山町中津原)

なお、次の1寺院は、かつて禅昌寺の末寺であった。

  • 要仲山玉龍寺(下呂市金山町中切)

文化財[編集]

大杉
大杉

指定文化財は51件にのぼる。

指定者別では、国指定1件(天然記念物1)、県指定6件(名勝1、重要文化財5)、市指定44件。

種別では、天然記念物1、名勝(庭園)1、建造物11、彫刻(仏像)5、絵画9、工芸品8、書跡8、典籍1、古文書7。

国の天然記念物[編集]

  • 禅昌寺の大スギ

岐阜県指定名勝[編集]

  • 禅昌寺庭園

岐阜県指定重要文化財[編集]

  • 木造釈迦如来坐像(彫刻)像高52.5cm 推定15世紀(室町時代)
  • 木造観世音菩薩半跏像(彫刻)像高85.5cm 推定14-15世紀(鎌倉 - 室町時代)
  • 釈迦涅槃図(絵画)絹本彩色軸装1幅 縦190cm 横118cm
  • 白隠禅師筆絵画 4幅(絵画)「出山釈迦像」「布袋図」「達磨像」「半身達磨像」
  • 白隠禅師書跡 7幅(書跡)

下呂市指定重要文化財[編集]

  • 伝恵心僧都作・地蔵菩薩像(彫刻)
  • 薬師如来坐像(彫刻)木造・像高63cm 推定18世紀(江戸時代)
  • 釈迦三尊図(絵画)絹本墨書彩色軸装1幅 縦118cm 横48cm
  • 伝雪舟筆絵画 2幅(絵画)「大達磨像」「山水双幅」(室町後期)
  • 大般若経408巻(典籍)1395年(応永2年)、飛騨国府・安国寺の大蔵経と校合の奥書あり
  • 後円融天皇御宸筆 和歌色紙(書跡)
  • 後奈良天皇御宸筆 和歌短冊(書跡)
  • 後奈良天皇「天下十刹」御綸旨(書跡)天文23年 権大納言国光筆
  • 円通寺三牌(書跡)永和三年(1377年)円通寺開山・竹処崇園禅師筆

ほか

その他[編集]

  • 位牌 : 三木重頼、三木直頼の位牌
  • 五輪塔 : 伝三木氏各代の墓 5基

ほか多数

参考文献[編集]

禅昌寺桜洞創建説の文献[編集]

  • 『飛州志』(1745年 長谷川忠崇)
  • 『飛騨国中案内』(1746年 上村木曽右衛門)
  • 『飛州志備考』(1909年 岡村利平)
  • 『飛騨編年史要』(1935年 岡村利平)
  • 『萩原町史』(2002年 萩原町)
  • 『飛騨三木一族』(2007年 谷口研語)

禅昌寺中呂不動説の文献[編集]

  • 『龍澤山禅昌寺由緒』(1830年 - 1844年 禅昌寺蔵)
  • 『龍澤山禅昌寺略縁記』(1909年 禅昌寺蔵)
  • 『益田郡誌』(1916年 益田郡役所)
  • 『禅昌寺史』(1999年 禅昌寺)
  • 『禅昌寺は桜洞にあったか』(2009年 吾郷武日)

外部リンク[編集]