神長英一
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | 群馬県 |
| 生年月日 | 1960年6月24日(58歳) |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 遊撃手 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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選手歴 | |
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監督歴 | |
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この表について
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神長 英一(かみなが ひでいち、1960年6月24日 - )は、群馬県桐生市出身の元社会人野球指導者。 元・法政大学野球部監督。
経歴[編集]
- 高校時代は、作新学院高で、第49回選抜高等学校野球大会及び第60回全国高等学校野球選手権大会に出場。3年次には主将を務める。
- 高校卒業後は、法大へ進学。大学では経済学部に在籍。田中富生、木戸克彦、西田真二は大学の同期。
- 法大在学中、3度のリーグ優勝を経験。1982年(4年生)春の完全優勝時には、遊撃手としてベストナインに選出され、全日本大学野球選手権大会でも優勝を果たした。
- 大学卒業後は、日本通運硬式野球部に入部。1年目に都市対抗大会でベスト4に進出、88年同大会を最後に現役を引退。
- 92年までマネージャー、96年までコーチを務め、01年に日本通運監督に就任。その年に第72回都市対抗野球大会でチームをベスト4に導くと、2010年夏まで監督として10年連続で同大会に出場するという快挙を達成。
- 2010年に日本通運監督を勇退、翌年の2011年1月より法政大学野球部コーチに就任。2012年1月より法政大学野球部助監督に就任、2013年4月5日に金光興二監督の退任を受け、監督代行に就任し、4月8日に監督就任。同年春季リーグは終盤まで明治大学と優勝を争い2位となったものの、2013年秋季から2014年秋季まで3季連続5位と低迷。2014年秋季リーグ終了後、成績不振の責任を取り監督を辞任。後任監督には助監督を務めていた青木久典が就任した。
主な教え子[編集]
- 本柳和也:投手(2001年オリックス・ブルーウェーブドラフト9位)
- 武田久:投手(2002年日本ハムファイターズドラフト4位)
- 小川将俊:捕手(2003年中日ドラゴンズドラフト8位)
- 川井進:投手(2004年中日ドラフト4位)
- 金剛弘樹:投手(2004年中日ドラフト9位)
- 古谷拓哉:投手(2005年千葉ロッテマリーンズドラフト5位)
- 下窪陽介:外野手(2006年横浜ベイスターズドラフト5位)
- 野本圭:外野手(2008年中日ドラフト1位)
- 阿南徹:投手(2009年オリックスドラフト5位)
- 牧田和久:投手(2010年埼玉西武ライオンズドラフト2位)