神谷不二

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神谷 不二(かみや ふじ、1927年1月6日[1] - 2009年2月20日[1])は、日本の国際政治学者法学博士京都大学1967年)、慶應義塾大学名誉教授

人物[編集]

愛知県名古屋市[要出典]出身[1]

当初は岡義武の下で近代イギリス外交史を研究したが、後に関心を現代国際政治へと移し、現代アジアの国際政治、日米関係などを研究対象とする。朝鮮戦争研究の草分け[1]で、1966年に発表した著書『朝鮮戦争』で、戦争の発端は北朝鮮による侵略であったと論じ、従来米韓の「北侵」によるとされてきた戦争起源論に反論した。1993年から2002年まで、防衛学会(後に国際安全保障学会)の会長を務めた。

日本政府の外交政策ブレーンを様々な形で務め、沖縄返還時にも学者グループとして政府への提言を行った。日米欧委員会委員を長く務めたことでも知られる。現実主義親米保守右派の論客として『中央公論』『文藝春秋』『諸君!』『産経新聞』などへの寄稿で論壇でも活動した。

妻の神谷笑子(えみこ)は法学者で元東京工科大学教授。息子の神谷万丈防衛大学校教授(国際政治学安全保障論)。娘の神谷百子マリンバ奏者。姉の神谷美子宇宙物理学者。ニュースキャスターの宮崎緑は慶應義塾大学での教え子であった。

2009年2月20日、急性心不全にて死去。82歳没。

略歴[編集]

この間シカゴ大学コロンビア大学客員研究員(1959-60年、1960-61年)
  • 1962年 大阪市立大学法学部教授(-1970年)
  • 1970年 慶應義塾大学法学部教授(-1991年)
  • 1977年 コロンビア大学客員教授(-1979年)
  • 1985年 コロンビア大学客員教授(-1986年)
  • 1991年 東洋英和女学院大学人文学部教授(-1995年)
  • 1995年 東洋英和女学院大学社会科学部教授(-2001年)
  • 2001年 東洋英和女学院大学国際社会科学部長(-2002年)
  • 2001年 東洋英和女学院大学大学院客員教授

著作[編集]

単著[編集]

  • 『朝鮮戦争――米中対決の原形』(中央公論社, 1966年/中公文庫, 1990年)
  • 『現代国際政治の視角』(有斐閣, 1966年)
  • 『現代の戦争』(慶應通信, 1972年)
  • 『戦後日米関係の文脈』(日本放送出版協会, 1984年)
  • 『アメリカを読む50のポイント』(PHP研究所, 1989年)
  • 『戦後史の中の日米関係』(新潮社, 1989年)
  • 『朝鮮半島で起きたこと起きること――分断・共存・統一の歴史と行方』(PHP研究所, 1991年/『朝鮮半島論』に増補改題, 1994年)
  • 『勝負の美学』(PHP研究所, 1999年)
  • 『国際政治の半世紀――回顧と展望』(三省堂, 2001年)

共著[編集]

編著[編集]

  • 『戦争と平和』(グロリア・インターナショナル, 1971年)
  • 『日本とアメリカ協調と対立の構造』(日本経済新聞社, 1973年)
  • 『朝鮮問題戦後資料(全3巻)』(日本国際問題研究所, 1976-1980年)
  • 『現代の国際政治』(旺文社, 1980年)
  • 『北東アジアの均衡と動揺』(慶應通信, 1984年)
  • 『世界の戦争 第9巻 二十世紀の戦争』(講談社, 1985年)

共編著[編集]

  • ジェラルド・カーティス)『沖縄以後の日米関係 七〇年代のアジアと日本の役割』(サイマル出版会, 1970年)
  • 永井陽之助)『日米経済関係の政治的構造』(日本国際問題研究所, 1972年)
  • The Security of Korea : U.S. and Japanese perspectives on the 1980s, co-edited with Franklin B. Weinstein,(Westview Press, 1980).
  • 佐伯彰一荻昌弘亀井俊介高階秀爾)『アメリカハンドブック』(三省堂, 1986年)

訳書[編集]

  • (神川信彦共訳)A.シュトゥルムタール『ヨーロッパ労働運動の悲劇 1918-1939年』(全2巻, 岩波書店, 1958年/1964年)
  • (監訳)ハンス・モーゲンソウ『人間にとって科学とは何か』(講談社[講談社現代新書], 1975年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 神谷不二』 - コトバンク