神楽町
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かぐらちょう 神楽町 | |
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廃止日 | 1968年3月1日 |
廃止理由 |
編入合併 神楽町 → 旭川市 |
現在の自治体 | 旭川市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 北海道地方 |
都道府県 | 北海道 上川支庁 |
郡 | 上川郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 127 km2. |
総人口 |
18,974人 (1967年) |
隣接自治体 |
旭川市、芦別市、 上川郡東神楽町、美瑛町 |
神楽町役場 | |
所在地 | 北海道上川郡神楽町神楽4条4丁目1番24号 |
座標 | 北緯43度45分42秒 東経142度20分45秒 / 北緯43.7617度 東経142.3458度座標: 北緯43度45分42秒 東経142度20分45秒 / 北緯43.7617度 東経142.3458度 |
ウィキプロジェクト |
神楽町(かぐらちょう)はかつて北海道上川郡にあった町である。1968年3月1日に旭川市に編入された。
概要
[編集]現在の旭川市の南部に位置し、町域は逆Y字型であった。
人口は1967年当時で18,974人。面積は127平方キロ (人口密度 149.4 人/km2)。
町名の由来
[編集]アイヌ語の「ヘッチェウシ(hetce-us-i)」(「囃し・つけている・所[1]」、あるいは「神々の遊ぶところ[2]」)の意訳に由来する[1]。「ヘッチェ」は歌舞に合わせてヘイッ!ヘイッ!と囃し立てることで、この場所でいつも歌舞したのでこの名となったとされ、それを意訳し「神楽」としたとされている[1]。
また、当地に入植した富山県下新川郡小摺戸村(現:入善町)の人々が、故郷の獅子舞を奉納したことによる、とする説もある[3]。
歴史
[編集]- 1909年(明治42年)4月1日 - 二級町村制施行により神楽村が成立する。
- 1928年(昭和3年) - 西神楽・東神楽の2字が成立。
- 1929年(昭和4年)4月1日 - 神楽村が一級町村制を施行する。
- 1936年(昭和11年) - 辺渓朗・神楽町・神楽岡・千代ヶ岡・八千代ヶ岡・志比内の6字が成立。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 神楽村から東神楽村(現・東神楽町)が分立する(東神楽・志比内の全部、千代ヶ岡・八千代ヶ岡の各一部)。
- 1951年(昭和26年) - 字・新開が成立。
- 1954年(昭和29年)11月1日 - 神楽村が町制を施行して神楽町となる。
- 1968年(昭和43年)3月1日 - 神楽町が旭川市に編入される。
交通
[編集]鉄道
[編集]国鉄富良野線が町内を南北に通り、1967年当時で、最寄駅は旭川駅・神楽岡駅・西御料駅・西瑞穂駅・西神楽駅・西聖和駅・千代ヶ岡駅。
地名
[編集]- 苗圃道(たんぼみち)
- 神楽公園(かぐらこうえん)
- 保線官舎(ほせんかんしゃ)
- 神楽岡(かぐらおか)
- 神楽町
- 辺渓朗(べんけいろう)
- 八千代ケ岡(やちよがおか)
- 西神楽
- 新開
- 辺渓朗本通(べんけいろうほんどおり)
- 辺別原野乙号(べべつげんやおつごう)
- 神楽町北2番通。2 - 7丁目
- 神楽町北3番通。2・3丁目
- 神楽町北4番通。2・3丁目
- 神楽町北5番通。2・3丁目
- 神楽町本通2.2 - 7丁目
- 神楽町南1番通。3 - 7丁目
- 神楽町東1条通。東1 - 4丁目
その他
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c “アイヌ語地名リスト オニシベ〜キタ P31-40P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月19日閲覧。
- ^ “東神楽町の概要”. 東神楽町. 2017年10月18日閲覧。
- ^ 宮脇俊三、原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、125頁。ISBN 4-09-395401-1。