神戸人形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

神戸人形(こうべにんぎょう)とは、明治中頃発祥とされる木製のからくり人形で、兵庫県神戸市郷土玩具である。

小田太四郎の戦前作の神戸人形。

おおむね小さな箱の上に人形が乗っており、箱の横についたつまみを回すと、盃や西瓜などを持った腕が動き口を開閉したり首を前後に動かしたり、様々な動きをする。

概要[編集]

神戸人形は、明治中頃に現在の神戸市で作られはじめた[1]。創始はろくろ首や三つ目の人形を好んで作った野口百鬼堂(後述)と言われているが詳細は不明。

大正から昭和初期に、主に外国人観光客向けに作成され、ユニークな動きと繊細な仕掛けから土産物として好まれた[2][3]

いつ頃から黒く塗られていた物があったかは定かではないが、昭和になるとほとんどの作品が黒で塗られるようになり、神戸人形の名が定着した[3]

1929年(昭和4年)には、神戸を訪れた昭和天皇に献上した記録も残っている[4][3]

太平洋戦争の影響で職人が減少し制作が途絶えたが、戦後まもなく、神戸人形廃絶を惜しむ人々の動きもあり神戸市立南蛮美術館館長だった荒尾親成や郷土玩具愛好家の加藤盛男らの協力で再び制作が始まる[5]。1981年の神戸ポートアイランド博覧会に出品されたことで脚光を浴び、1990年代までは製造が続けられていた[2][6]

しかし、阪神・淡路大震災の影響で製造業者が減少し、製作者が死去したことで製造が中断した[2][4][3]

2003年に、姫路市日本玩具博物館が地元の職人の協力を得て復刻したが途絶えた。その後2015年に、神戸市で人形劇工房を営む作家が制作を再開した[1]

名称[編集]

初期は、ろくろ首や鬼のような姿から「お化け人形」、また布引の滝で売られたことから「布引人形」と呼ばれた[3]

種類[編集]

箱に乗ったもので代表的な作品は「西瓜喰(すいかくい)」「酒呑み(さけのみ)」。

長箱タイプのものに「夕涼みのお化け」など。

箱に乗っていない物も多くある。人力車、舟型、直立フィギュア風など。

主な作者・ブランド[編集]

名前が判明している作者以外にも多くの作り手がいたと思われるが、記録が残っておらず詳細不明な作品が多い。

確実にわかっている作家は以下の通り。(時代順)

  • 野口百鬼堂 - 神戸人形の始祖と言われる。ツゲの木肌のお化け性が強い作品が多く残されている。奇人としても知られた「長田の春さん」と同一人物とされている[3]が詳細は不明。
  • 出崎房松 - てこの仕掛けを考案した。
  • 小田太四郎 - 黒い人形を多く作り「神戸人形」として確立。写真カタログで受注生産し、海外に多く輸出されていた。
  • 数岡雅敦 - 戦後、廃絶した神戸人形を復刻。多くの作品に「喜八」の銘が入っている。
  • キヨシマ屋 - 元町商店街にあった玩具屋(創業1890年(明治23年))。当初は小田製などの人形を販売していたが戦後の復刻の流れに参加。以降店主が製造販売する。
  • 神戸センター - 三宮センター街にあった民芸品店。当初は数岡製の人形を販売していたが後に奈良の木工作家に依頼して自社製の人形を販売した。
  • ウズモリ屋 - 2015年より製造販売。

脚注[編集]

  1. ^ a b 今月のおもちゃ「ウズモリ屋の神戸人形」”. 日本玩具博物館. 2020年2月21日閲覧。
  2. ^ a b c “からくり人形:幻の神戸人形復活「新しい名物に」”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2016年8月25日). https://mainichi.jp/articles/20160825/k00/00e/040/164000c 2020年2月21日閲覧。 (記事の全文閲覧には有償登録が必要)
  3. ^ a b c d e f 神戸人形-日本玩具博物館 | 日本玩具博物館”. 神戸人形-日本玩具博物館. 2020年2月21日閲覧。
  4. ^ a b “「神戸人形」20年ぶりに復活 神戸の吉田さん、技術継承に奮闘”. 産経ニュース (産経新聞社). (2016年10月8日). https://www.sankei.com/article/20161008-ER6FZPTTI5L3BCGPEV572WPVSA/ 2020年2月21日閲覧。 
  5. ^ 1966年6月5日神戸新聞『ふるさとの玩具8』
  6. ^ 知性の玉手箱!神戸人形 作家、『ウズモリ屋』代表“吉田 太郎”さん | ばんばひろふみ!ラジオ・DE・しょー!”. ラジオ関西 JOCR 558KHz. ラジオ関西 (2017年10月11日). 2020年2月11日閲覧。

外部リンク[編集]