神崎安隆
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
|
| 出身地 | 広島県 |
| 生年月日 | 1932年8月24日 |
| 没年月日 | 1985年 |
| 身長 体重 |
170 cm 64 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 捕手 |
| プロ入り | 1951年 |
| 初出場 | 1951年 |
| 最終出場 | 1954年 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
| |
神崎 安隆(かんざき やすたか、1932年8月24日 - 1985年)は、広島県出身で、1950年代前半に松竹ロビンスとその後身の大洋松竹ロビンスに在籍(その後、広島カープに移籍)したプロ野球選手(捕手)。
1952年に別所毅彦の完全試合を阻止した安打は、公式戦で記録した唯一の安打である。
来歴・人物[編集]
広島県の盈進商業学校(現・盈進高等学校)で箱田淳の1学年下、土屋弘光と同期。同校卒業後、1951年、松竹ロビンスに入団。現役選手ながらブルペン捕手としての役割を果たし、同年に高卒ルーキーとして一軍戦出場を1試合経験していた。
1952年6月15日の対読売ジャイアンツ戦(大阪スタヂアム)で、松竹打線は別所毅彦に9回2死まで一人の走者も出さない完全試合ペースで抑えられていた。そこで監督の新田恭一から指名された神崎は片山博に代わる代打で登場し、カウント2ストライク3ボールから遊撃手前へゴロを転がした。神崎は一塁へ全力疾走し、平井三郎からの送球より一瞬早く一塁を駆け抜けて内野安打としてプロ入り初安打を記録すると共に、別所の完全試合を阻止した。この安打が、神崎にとってプロ野球選手として最初で最後の安打だった。なお、18試合に出場した同年が、神崎にとって最も出場試合数が多いシーズンとなった。
1953年、合併により大洋松竹ロビンスに移籍したが、一軍での出番は無かった。1954年、故郷の球団である広島カープに移籍し、2試合に出場したが、同年限りで引退した。
引退後はプロ野球から離れ、小学生にソフトボールを教えるなどスポーツを普及させる活動を行っていたが、病気のため1985年に53歳で死去した。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1951 | 松竹 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | 0 | -- | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
| 1952 | 18 | 7 | 7 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | 0 | -- | 0 | 0 | 0 | .143 | .143 | .143 | .286 | |
| 1954 | 広島 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 通算:3年 | 21 | 9 | 9 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | 0 | 0 | 0 | .111 | .111 | .111 | .222 | |
記録[編集]
- 初安打:1952年6月15日、対読売ジャイアンツ戦(大阪スタヂアム)、別所毅彦から内野安打
背番号[編集]
- 27(1951年 - 1953年)
- 44(1954年)