神奈川県立横浜立野高等学校

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神奈川県立横浜立野高等学校
過去の名称 神奈川県立横浜第二高等女学校
神奈川県立横浜第二女子高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 神奈川県の旗 神奈川県
設立年月日 1936年(昭和11年)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 14106C
所在地 231-0852
神奈川県横浜市中区本牧間門40-1
北緯35度25分5.54秒 東経139度39分13.88秒 / 北緯35.4182056度 東経139.6538556度 / 35.4182056; 139.6538556座標: 北緯35度25分5.54秒 東経139度39分13.88秒 / 北緯35.4182056度 東経139.6538556度 / 35.4182056; 139.6538556
外部リンク 公式サイト
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神奈川県立横浜立野高等学校(かながわけんりつ よこはまたてのこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市中区本牧間門にある公立高等学校共学校

概要[編集]

1936年2月、現在の横浜国大附属小学校のある立野の丘で、神奈川県立横浜第二高等女学校として創立された。1948年には新制高等学校となり、神奈川県立横浜第二女子高等学校と改称した。1950年には男女共学校になるとともに、現在の校名である神奈川県立横浜立野高等学校と改称した。この頃の立野の丘には、横浜立野高等学校、横浜国立大学学芸学部分校、横浜国大附属小学校、横浜国大附属中学校と4校があり、小中高大生が混在し超過密状態となった。敷地不足のため、1964年に横浜市中区本牧間門の地に移転された。

2011年には、本牧間門校舎の耐震対策による建て替え工事に伴い、すべての学校機能を港南台校舎(旧・港南台高校)へ移転した。2014年に新校舎が完成し、本牧間門校舎へ再移転した。

また、毎年秋には辻堂海浜公園でマラソン大会が行われる。卒業生は19,000人を超えた。

沿革[編集]

  • 1936年 - 神奈川県立横浜第二高等女学校として開校。校舎は横浜市中区立野町の神奈川県女子師範学校に併設された。初代校歌(作詞 佐佐木信綱/作曲 幸田延)制定(神奈川県女子師範学校および神奈川県立横浜第一高等女学校のそれと同一のもの)。
  • 1940年 - 紀元2600年を記念し二代校歌(作詞 国語漢文部/作曲 橋本國彦)制定。
  • 1943年 - 師範教育令改正に伴い神奈川県女子師範学校が官立神奈川師範学校女子部に改組され,同校は形式上分離独立する。中等学校令施行に伴い,修業年限が5年から4年に短縮される。
  • 1948年 - 学制改革により高等学校となり、神奈川県立横浜第二女子高等学校と改称。
  • 1950年 - 神奈川県立高等学校の男女共学化に伴い、校名を神奈川県立横浜立野高等学校と改称。小学区制が導入される。
  • 1956年 - 終戦直後から校歌不在の状態が続いていたが,現行の三代校歌(作詞 神保光太郎/作曲 中田喜直)制定。
  • 1963年 - 中学区制導入。緑ヶ丘金沢の各校と共に、横浜南部学区に属す。
  • 1964年 - 敷地不足のため、横浜市中区本牧間門の地に校舎移転。
  • 1966年 - 横浜国立大学教育学部附属高等学校を設置するという意図のもとに、山手分校を設置。
  • 1968年 - 諸般の事情で山手分校の国立学校移管は実現できず、分離独立し、神奈川県立光陵高等学校となる。
  • 1981年 - 新学区制導入。横浜臨海学区に属す。
  • 2005年 - 学区制廃止。
  • 2011年 - 校舎建て替え工事に伴い、横浜市港南区港南台の校舎へ移転。
  • 2014年 - 新校舎が完成し、本牧間門に再移転。
  • 2016年 - 創立80周年を迎える。

アクセス[編集]

JR根岸線根岸駅から市営バス「東福院前」または「立野高校入口」下車。徒歩3分。

主な部活動の実績[編集]

  • 1940年 - 神奈川県女子水泳大会優勝。
  • 1941年 - 神奈川県女子水泳大会優勝。

著名な出身者[編集]

スポーツ・文化・学術・芸能[編集]

 慶野光季 - ニート

関連項目[編集]

外部リンク[編集]