磯部町 (常陸太田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
日本 > 茨城県 > 常陸太田市 > 磯部町
磯部町
磯部町(2011年2月撮影)
磯部町(2011年2月撮影)
磯部町の位置(茨城県内)
磯部町
磯部町
磯部町の位置
北緯36度31分22.5秒 東経140度31分39.2秒 / 北緯36.522917度 東経140.527556度 / 36.522917; 140.527556
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Ibaraki Prefecture.svg 茨城県
市町村 Flag of Hitchiota Ibaraki.png 常陸太田市
地区 佐竹地区
標高
8m
人口
2017年(平成29年)8月1日現在)[1]
 • 合計 918人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
313-0042
市外局番 0294(常陸太田MA)
ナンバープレート 水戸
※座標・標高は磯部集会所付近

磯部町(いそべちょう)は、茨城県常陸太田市町名郵便番号は313-0042(常陸太田郵便局管区)。

地理[編集]

常陸太田市南部に位置する。町の北の境界を源氏川が、東の境界を里川が流れ、磯部町で合流する[2]。南の境界は渋江川が流れる。農山村的特徴と都市的特徴の両方を兼ね備えているが、常陸太田中心部に近接するため、都市的特徴が顕著である[3]国道349号に沿って集落が形成され、街村形態を呈する[4]

  • 山:峯山(標高:32.6m

北は稲木町・山下町・三才町、東は小沢町・内田町、南及び西は谷河原町と接する。

歴史[編集]

磯部町では、縄文時代の峰遺跡や峯山・磯部古墳群が見つかっている[5]

文献記録では、鎌倉時代の『弘安田文』に「磯部十六丁三段大」と書かれ、常陸国佐都西郡(さとさいぐん)に属していた[6]。佐都西郡は平安時代末期には佐竹氏本貫であり、鎌倉時代末期に臨川寺に寄進された「佐都荘」の荘域内だったと考えられている[7]。ほかにも明応3年(1494年)頃の筆と思われる『当乱相違地注文写』に「いそへくるま方」[5]、「礒辺乃内とうさい寺方 同違乱」[6]などとあり、佐竹の乱の折に小野崎氏江戸氏に押領されていた[5]文禄3年(1594年)の太閤検地により佐都西郡が久慈郡に組み入れられた[7]ため、磯部も久慈郡となった[5]

江戸時代には常陸国久慈郡大里組に属しており、磯部村(礒部村)と称した。慶長14年(1609年)を境に、佐竹氏から水戸藩へ支配者が変わった[5]。村高は寛永12年(1635年)の『水戸領郷高帳』に1,031石余、『元禄郷帳』に956石余などとある[5]。『国用秘録』には、肥沃な土地であると記され、天保13年(1842年)の検地の記録によれば、田畑は101町余で分米は34石余、新田畑は4反余で分米は1石余だったという[6]

明治時代になると、町村制の施行により近隣3村と合併し、久慈郡佐竹村の大字となった。村役場は磯部に置かれた[8]。佐竹村は昭和の大合併において、太田町ほか5村と合併して常陸太田市となり、磯部町という町名となった。市制施行後は、住宅地化が進み[4]1960年(昭和35年)4月6日に市立峰山中学校が現在地に移転した[9]

沿革[編集]

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、久慈郡磯部村が天神林村・稲木村・谷河原村と合併し佐竹村が発足。磯部村は佐竹村大字磯部となる。
  • 1954年(昭和29年)7月15日 - 佐竹村が佐都村・誉田村・機初村・西小沢村・幸久村とともに太田町に編入、太田町が即日市制施行し常陸太田市へ移行。佐竹村は廃止となる。佐竹村大字磯部は常陸太田市磯部町となる。

地名の由来[編集]

『水府志料』によると、往古は「五十騎」(いそめ)、「箕山」と称した[5]

人口の変遷[編集]

総数 [戸数または世帯数: R05.png 、人口: G05.png ]

1764年明和元年)[6] R10.pngR05.png 105戸
G50.pngG05.pngG01.pngG01.pngG01.pngG01.png 509人
1805年文化 2年)[6] R05.png 58戸
?人
1891年(明治24年)[7] R10.pngR01.pngR01.pngR01.png 135戸
G50.pngG10.pngG01.pngG01.pngG01.pngG01.png 697人
1980年(昭和55年)[4] R10.pngR10.pngR10.pngR01.pngR01.png 326世帯
G100.pngG10.pngG05.pngG01.pngG01.pngG01.png 1,189人
2011年(平成23年)[10] R10.pngR10.pngR10.pngR01.pngR01.pngR01.pngR01.png 343世帯
G50.pngG10.pngG10.pngG10.pngG10.pngG01.pngG01.png 902人
2017年(平成29年)[1] R10.pngR10.pngR10.pngR01.pngR01.pngR01.pngR01.pngR01.pngR01.png 369世帯
G50.pngG10.pngG10.pngG10.pngG10.pngG01.pngG01.pngG01.png 918人

小・中学校の学区[編集]

市立中学校に通学する場合、磯部町全域が佐竹小学校・峰山中学校の学区となる[11]。峰山中学校は磯部町内にある。

交通[編集]

谷河原駅

鉄道[編集]

路線バス[編集]

道路[編集]

施設[編集]

  • 常陸太田市立峰山中学校
  • 佐竹郵便局
  • 常陸大理石株式会社本社
  • 県北自動車整備車検株式会社

史跡[編集]

  • 熊野鹿島神社(五十部神社) - 峯山にある神社。旧村社。神体、祭神は伊弉諾命武甕槌命[6]小字腰巻と箕山(みやま)から各25人ずつが集まって創建したことから、五十部(いそべ)神社と名付けられたという[6]徳川秀忠より社領6石を与えられた[6]
  • 宝来山宝光寺宝寿院 - 長享3年(1489年)開基の真言宗寺院。天保14年(1843年)廃寺[6]。門徒が5寺あったが、磯部村にあった3寺は寛文6年(1666年)に還俗処分を受けた[6]
  • 鶴堤地蔵堂(つるさげじぞうどう) - 空海(弘法大師)が弘仁年間(810年 - 824年)にこの地に宿泊した翌朝、天竺から飛来した化石を見つけ、延命地蔵を彫り堂を建てた、という伝説がある[13]西山荘に隠居していた徳川光圀は、よく磯部村で鷹狩りを楽しんでおり、由緒あるこの地蔵を水戸に持ち帰った[14]。しかし、地蔵が「磯部恋し」と呟き始めたことから磯部村に戻し[15]、地蔵に三葉葵の入った金色袈裟を献上したとされる[16]。家内安全・延命息災・子安地蔵として信仰を集め、2月24日8月24日に上宿・中宿・下宿でそれぞれ「オセンダンゴ」と呼ばれる千個の団子を作って供える会式を行う[17]

出身者[編集]

都々逸坊扇歌歌碑

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 町内別人口(平成29年8月1日現在)”. 常陸太田市 (2017年8月1日). 2017年8月30日閲覧。
  2. ^ 平凡社(1982):145ページ
  3. ^ 伊藤ほか(1998):47ページ
  4. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(1983):1115ページ
  5. ^ a b c d e f g 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(1983):116ページ
  6. ^ a b c d e f g h i j 平凡社(1982):161ページ
  7. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(1983):456ページ
  8. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(1983):454ページ
  9. ^ 常陸太田市立峰山中学校"峰山中学校:学校概要"(2011年2月17日閲覧。)
  10. ^ 常陸太田市役所情報政策課情報化推進係"町内別常住人口調査(平成23年1月1日現在)"(2011年2月17日閲覧。)
  11. ^ 常陸太田市教育委員会"各小中学校通学区域(学区)"(2010年12月22日閲覧。)
  12. ^ 常陸太田市役所建設課改良係"市道0120号線(磯部天神林線)"2010年6月2日更新.(2011年2月17日閲覧。)
  13. ^ 常陸太田市史編さん委員会 編(1979):630ページ
  14. ^ 常陸太田市史編さん委員会 編(1979):720ページ
  15. ^ 常陸太田市史編さん委員会 編(1979):720 - 721ページ
  16. ^ 常陸太田市史編さん委員会 編(1979):630 - 631ページ
  17. ^ 常陸太田市史編さん委員会 編(1979):631ページ
  18. ^ 常陸太田市役所商工観光課観光係"都々逸房扇歌の碑"2009年8月5日.(2011年2月17日閲覧。)

参考文献[編集]

  • 伊藤徹哉・杜国慶・日野敬仁・佐藤大祐・古川顕・湯田ミノリ・松井圭介・高橋伸夫(1998)"常陸太田市における生活環境の地域的特性"地域調査報告.20:43-81.
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 8 茨城県』昭和58年12月8日、1617pp.
  • 常陸太田市史編さん委員会 編『常陸太田市史 民俗編』常陸太田市役所、昭和54年3月31日、825pp.
  • 『茨城県の地名』日本歴史地名大系第八巻、平凡社、1982年11月4日、977pp.

外部リンク[編集]