磯村年

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磯村 年
生誕 1872年11月1日
滋賀県
死没 (1961-09-12) 1961年9月12日(88歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍
軍歴 1893 - 1928
1937 - 1938
最終階級 陸軍大将
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磯村 年(いそむら とし、明治5年9月1872年10月頃) - 1961年(昭和36年)9月12日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍大将

経歴[編集]

滋賀県士族・平田繁の二男として生まれ、陸軍中佐・磯村惟亮の養嗣子となる。東京府尋常中学陸軍幼年学校を経て、1893年(明治26年)7月に陸軍士官学校(4期)卒業。翌年3月、砲兵少尉に任官し野戦砲兵第3連隊付となる。1900年(明治33年)12月、陸軍大学校(14期)卒業。

日露戦争において大本営陸軍部参謀を経て、第一次世界大戦における通称・青島攻略戦と呼ばれるドイツの要衝・青島へ独立第18師団高級参謀として出撃。

1918年(大正7年)、陸軍少将に進級。1月に広島湾要塞司令官に補職。その後に野戦砲兵射撃学校長を経て、1921年(大正10年)3月28日、シベリア出兵により、途中、浦塩派遣軍参謀長に就任。1922年(大正11年)8月、陸軍中将に昇進し陸軍砲工学校長となる。翌年8月、第12師団長に親補され、1926年(大正15年)7月、関東大震災により設けられた東京警備府司令官に就任。1928年(昭和3年)8月10日、陸軍大将に進級し、予備役編入となる。

1937年(昭和12年)2月17日、二・二六事件の後、ただちに召集され、参謀本部付となる。東京陸軍軍法会議真崎甚三郎裁判における判士長就任。1938年(昭和13年)4月、後備役

栄典[編集]

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第241号「叙任及辞令」1913年5月21日。
  2. ^ 『官報』第3347号「授爵・叙任及辞令」1923年10月18日。
  3. ^ 『官報』第343号「叙任及辞令」1928年2月22日。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。