砲戦車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

砲戦車(ほうせんしゃ)は、大日本帝国陸軍の軍用車両の分類のひとつである。日本独自の兵器カテゴリーである。

概要[編集]

戦車部隊に随伴し、当時日本陸軍の一般的な戦車に搭載されていた37~57ミリ程度の備砲では迅速な破壊が困難なトーチカや装甲車両に対し大威力の75ミリ以上の火砲をもって制圧、あるいは撲滅することを目的としている。

また通常の榴弾に加え、発煙弾などを用い制圧射撃を行うことで味方戦車の機動戦闘を支援するといった役割も求められており、その意味では第二次世界大戦期のドイツ陸軍における初期のIV号戦車や、イギリス軍のCS(closed support近接支援)型に近い性格となっている。

車体は支援する戦車隊との整備や機動力の兼ね合いから既存の戦車と同じものを用い、外観なども著しく 大きくなってはならないとされた。その上で1ランク上の火砲を装備することは困難であるが、十分な射界を 維持できるのであれば「やむを得ず」旋回砲塔形式を採用せず、後方や上面は簡易なものであっても可とされており、 決して固定戦闘室やオープントップの砲塔自体を指して戦車と砲戦車を分類するものではない。

戦車と砲戦車[編集]

砲戦車に求められた最大の特長は備砲の砲弾威力である。当時の日本軍の主力戦車である九五式軽戦車九七式中戦車の備砲を例に比較すると、37ミリ砲弾:600g程度、47ミリ砲弾:1.5kg程度、57ミリ砲弾:2.5kg程度に対し野砲で用いられた75ミリ砲弾は概ね6kg~7kg程度と砲弾重量、 つまり一発あたりの破壊力が飛躍的に増大している。

これは、たとえ時間をかけて目標に多数の砲弾を撃ち込んで破壊し得たとしても、その機動力をもって戦線突破、 後方浸透を身上とする戦車部隊にとってそのようなタイムロスは致命的であり、敵の反撃を容易にし部隊を 危険に晒すことに繋がってしまうため、上記のような「迅速な機動のための迅速な破壊」が砲戦車に求められた任務であった。

しかし単に砲弾重量が大きければ良いというわけではなく、移動目標に対する射撃や装甲目標に対する貫通力の観点から ある程度の発射速度や砲口初速も求められている場合があった。(例としては、二式砲戦車の前身にあたる試製一〇〇式/一式砲戦車(ホイ車)では、搭載砲に用いられた四一式山砲をベースとした九九式戦車砲(一号砲)は初速不足とみなされ、改良型である二式砲戦車では砲身長を増した九九式戦車砲(二号砲)を搭載している。また、機甲科側よりホイ車は砲戦車として不適であるとし[1]、高初速の九〇式野砲を理想の搭載砲とする意見が多く上がり、本来は野砲兵の自走化として着手されていた一式七糎半自走砲をホイ車に代わる砲戦車としての適性を見出し、正式には野砲兵の兵器にもかかわらず独自に動的目標試験を行い「試製一式砲戦車」 とした。その他の例としては、昭和18年3月ごろには低初速の十糎戦車砲を搭載した砲戦車も構想されていた[2]が、同年6月ごろには方針転換により削除され、代わりに高初速の105㎜砲を搭載した新砲戦車(甲)が計画されている。)いずれにせよ、砲戦車は対陣地・対戦車のいずれかに限らず、当時の同一車体を用いた戦車より総合的に優れた火力を求められた装甲戦闘車両と言える。

砲戦車と自走砲[編集]

「砲戦車」とは、機甲科の管轄の場合のカテゴリー呼称であり、同一車種でも砲兵科管轄の場合「自走砲」と呼ばれることがあった。具体例としては「一式七糎半自走砲」がある。これは砲兵科での呼称であり、機甲科では「一式砲戦車」である。

実際に戦車連隊に配備された一式七糎半自走砲(ホニⅠ)及び一式十糎自走砲(ホニⅡ)のうち、前者を砲戦車、後者を自走砲と呼び分けた例が戦車第三〇連隊等の文書記録に存在する。しかし、これらの車両は機甲師団用の機動砲兵として配備が進められていた物で、大戦末期において、ホニⅠ及びホニⅡ、四式十五糎自走砲などの自走砲を対戦車戦闘目的に使うことが決定した際、ホニⅠの運用法が砲戦車の運用に近づいていったが、自走砲部隊の人員供給は野戦砲兵学校を中心に行われており、砲兵側からすればホニⅠはあくまで自走砲であり、砲兵の管轄であるというかなり曖昧な立場であった。

また、昭和19年度になっても機甲科の管轄である戦車連隊(砲戦車中隊)への配備は実現せず、三式砲戦車とは異なりあくまで一式十糎自走砲と同様に砲兵が所掌する装備であった[3]という説もある。(具体例として、1944年のフィリピン戦線に参加した戦車第10連隊内の第五中隊は砲戦車中隊であるが、すべて57㎜短砲身砲搭載の九七式中戦車である。また本土決戦に向け、九州地区に配備された機甲部隊内の砲戦車中隊の編成は、すべて三式中戦車とその代用である三式砲戦車からなっていた。)

日本陸軍では多くの軍用車輌はカタカナ二文字の略記号(秘匿名称)でも表すことができ、砲戦車は、「ホ○」という記号で表される。ホは砲(ホウ)の頭文字を取ったものである。○には開発計画順にイ、ロ、ハ・・・と割り当てられる。計画順なので、未完成の車輌も含む。また自走砲(つまり砲兵科管轄)も「ホ○」で表す。ただしナト、カトなどの例外もある。

「ホ○」には、諸外国では「自走砲」、「突撃砲」、「駆逐戦車」、「戦車駆逐車」と呼ばれるカテゴリーに相当するものが幅広く含まれる。古い書籍においてはこれらの車両に対してしばしば「砲戦車」という訳語を当てはめたものが見受けられる。

このように一般には「カテゴリーの頭文字+開発順」の組み合わせで表記される。ただしこのルールに該当しない変則的な略記号もある。

  • 参考例:
    • チ○・・・中戦車の記号。チはチュウセンシャの頭文字。以下同様。
    • ケ○・・・軽戦車の記号。
    • ホ○・・・砲戦車の記号。
    • カ○・・・水陸両用戦車の記号。

日本陸軍の砲戦車、自走砲には、ホイ、ホロ、ホニ、ホト、ホチ、ホリ、ホル、ナト、カトなどがある[4]

配備[編集]

陸軍戦車研究委員会により一般的に三個小隊で編制される戦車中隊に新たに第四の小隊として、あるいは四個中隊編制される戦車連隊に第五の中隊として配備されることが構想されたが、後者が採られた。

一方で本土決戦が叫ばれる中、より対戦車戦闘力の高い三式砲戦車は「砲戦車」の名を冠しながら10個独立自走砲大隊に配備されることも予定され野戦砲兵学校で教育が行われた。また、本土の装備優良な戦車連隊では中戦車2個中隊には47mm砲搭載の戦車が充てられ、砲戦車中隊には三式中戦車が2個中隊配備されており、戦車・砲戦車・自走砲といった車両の制式名と部隊名称が一致しない例も見られる。終戦までに生産された砲戦車は少なく、57ミリ砲搭載型の九七式中戦車を充てられることもあった。

一例としては、司馬遼太郎こと福田定一(終戦時少尉)が乗車した九七式中戦車も、戦車第一連隊第五中隊に配備されるはずの砲戦車の代用である。

脚注[編集]

  1. ^ 『帝国陸軍戦車と砲戦車』学習研究社、82頁。
  2. ^ 『第2 研究事項/第1陸軍技術研究所関係研究事項』Ref.14011078400 11頁。名称は、「十糎戦車砲(砲戦車用)」であり、主要所元は「口径一〇五粍・初速約三三〇米」としている。また、弾薬は「十糎山砲及ビ十榴ノモノヲ使用スル如ク研究ス(完全弾薬筒トス)」となっており、完成予定年月は昭和十九年十二月付となっている。
  3. ^ 『丸』2016年5月号、83頁。
  4. ^ ホハが無いが、これは一式半装軌装甲兵車という半装軌車で使われている。

参考文献[編集]

「戦車研究委員会決議事項」レファレンスコードA03032012600
「砲戦車ノ諸元ニツキテノ理由」レファレンスコードA03032102700
  • 『帝国陸軍戦車と砲戦車』学習研究社 ISBN 4056027234 ISBN-13:978-4056027235
  • 『日本の戦車と軍用車両』高橋昇 文林堂
  • 『大砲入門―陸軍兵器徹底研究』佐山二郎 光人社NF文庫
  • 『歴史と視点―私の雑記帖 』司馬遼太郎 新潮文庫