石田茂作

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石田茂作

石田 茂作(いしだ もさく、1894年11月10日 - 1977年8月10日)は、日本の仏教考古学者

略歴[編集]

愛知県碧海郡矢作町(現・岡崎市矢作町)生まれ。本郷村外十ヶ町村組合立江西高等小学校(現・岡崎市立矢作中学校)から愛知県立第二中学校(愛知県立岡崎高等学校)へ進む[1]1923年(大正12年)、東京高等師範学校(現・筑波大学)国語漢文科卒業。愛知第二師範学校(現・愛知教育大学)勤務を経て[2]1925年(大正14年)1月から鑑査官補として東京帝室博物館に勤務、鑑査官・学芸部長へと昇進した[3]

1941年(昭和16年)、「飛鳥時代寺院址の研究」で東京帝国大学文学博士1957年(昭和32年)より奈良国立博物館長を務めた。1961年(昭和36年)7月1日岡崎市名誉市民に推挙される[4]

1977年(昭和52年)8月10日肺炎のため死去[5]。享年82。

業績[編集]

  • 仏教遺物や仏教遺跡を対象とした仏教考古学を提唱。他にも当時まだはっきりしていない状態で学界論争になっていた法隆寺再建説を実証した。
  • 大戦中はその考古学者としての立場からアメリカの学者に文化的建造物の多い京都、奈良への爆撃の反対を伝えた。
  • 1953年弥勒寺跡発掘調査を行う。
  • 郷里岡崎においては、北野廃寺跡の調査研究を推進した[2]

受賞歴[編集]

著書[編集]

  • 『写経より見たる奈良朝仏教の研究』東洋文庫論叢 1930 東洋書林、1982
  • 『飛鳥時代寺院址の研究』聖徳太子奉讃会 1936 第一書房、1977
    • 『総説飛鳥時代寺院址の研究』大塚巧芸社 1944
  • 『奈良時代文化雑攷』創元社 1944
  • 『伽藍論攷 仏教考古学の研究 第1』養徳社 1948
  • 法隆寺正倉院』三省堂出版 社会科文庫 1949
  • 校倉の研究』便利堂 1951 臨川書店、1992
  • 『正倉院伎楽面の研究』美術出版社 1955
  • 東大寺国分寺至文堂 日本歴史新書 1959
  • 『正倉院と東大寺』正倉院御物刊行会 1962
  • 『奈良朝の文化』大東急記念文庫 文化講座シリーズ 1965
  • 『仏教美術の基本』東京美術 1967
  • 『日本仏塔の研究』講談社 1969
  • 法隆寺雑記帖』学生社 1969
  • 『飛鳥随想』学生社 1972
  • 『二つの感謝 随筆』東京美術 1974
  • 『法隆寺 献納宝物の由来』聖徳太子奉讃会 1974
  • 『聖徳太子尊像聚成』講談社 1976
  • 『仏教考古学論攷』全6巻 思文閣出版 1977-78
1 (寺院編)
2 (仏像編)
3 (経典編)
4 (仏塔編)
5 (仏具編)
6 (雑集編)

共編著[編集]

  • 『満鮮考古行脚』高橋健自共著 雄山閣 1927
  • 『古瓦図鑑』編纂 大塚巧芸社 1930
  • 『日本考古図録大成 第10輯 塔』編 日東書院 1931
  • 『日本名筆全集 第10巻 写経集』編 雄山閣 1931
  • 法輪寺大鏡』編 大塚巧芸社 1937
  • 中宮寺大鏡・法起寺大鏡』編 大塚巧芸社 1940
  • 中尊寺大鏡』第1-3 編 大塚巧芸社 1941
  • 『聖徳太子全集 第5巻 太子関係芸術』編 竜吟社 1943
  • 安田文庫古経清鑒』編 日本海外商事 1952
  • 『正倉院』和田軍一共編 毎日新聞社 1954
監修
  • 『新版仏教考古学講座』全7巻 監修 雄山閣出版 1984

記念著作[編集]

  • 『瓦礫洞古玩録』編 石田茂作先生古稀記念会 1964
  • 『秋田県の紀年遺物 石田茂作先生喜寿紀念出版』奈良修介編 小宮山出版 1976

脚注[編集]

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  1. ^ 『市政だより子ども版 おかざきっ子』1974年12月20日号
  2. ^ a b 『新編 岡崎市史 総集編 20』 新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、28頁。
  3. ^ 斎藤忠 『考古学史の人びと』 第一書房、1985年、365p。
  4. ^ 『新編 岡崎市史 総集編 20』 新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、615頁。
  5. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)3頁
  6. ^ 中日文化賞:第1回-第10回受賞者”. 中日新聞. 2009年10月31日閲覧。