石橋貢

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石橋 貢
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 島根県出雲市
生年月日 (1957-05-05) 1957年5月5日(61歳)
身長
体重
184 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1979年 ドラフト外
初出場 1981年9月1日
最終出場 1991年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

石橋 貢(いしばし みつぐ、1957年5月5日 - )は、島根県出雲市[1]出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

来歴・人物[編集]

大社高では同期のエース曽田康二を擁し、三番打者、捕手として1975年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、山陰大会決勝に進出。しかし江の川高崎山嗣盛投手(阪神)に抑えられ、甲子園出場を逸する。

高校卒業後は、神奈川大学に進学し内野手に転向。神奈川(五)六大学野球リーグでは在学中5回優勝。大学同期(中退)に平川洋幸がいた。

1979年オフに、ドラフト外横浜大洋ホエールズに入団。

大学時代は四番を打った俊足強打の内野手であり、大洋でも主に三塁手として起用され、1982年にはイースタン・リーグ盗塁王を獲得した[1]1985年外野手に転向して一軍に定着。主に代走・守備要員として起用されるが、5試合に右翼手として先発出場を果たす。その後も準レギュラーとして活躍し、1988年には自己最高の19試合に先発。同年は2試合に一番打者としても起用されるが、今一つアピールポイントに欠け定位置は確保できなかった。1990年オフにヤクルトスワローズに金銭トレードにて移籍。翌1991年限りで現役を引退。

現在は、公益社団法人全国野球振興会島根県幹事を務めている。

1982年8月31日阪神戦でサードフライの捕球に失敗。フェアかどうかを巡って阪神の柴田猛島野育夫両コーチが激高、岡田功審判を暴行し出場停止処分となる事件のきっかけとなった。(横浜スタジアム審判集団暴行事件を参照)

通算本塁打数は6本であるが、1988年5月28日の対阪神戦(甲子園)では3打席連続本塁打という記録を残している[1]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1981 大洋 10 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
1982 10 12 8 6 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 3 0 1 2 0 .375 .583 .375 .958
1983 23 12 9 3 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 3 0 0 4 0 .000 .250 .000 .250
1984 24 22 20 2 3 1 0 0 4 1 1 1 1 0 1 0 0 7 0 .150 .190 .200 .390
1985 82 67 57 26 9 2 0 1 14 4 1 2 4 0 5 0 1 14 1 .158 .238 .246 .484
1986 77 75 67 7 19 4 1 0 25 3 4 1 2 0 6 1 0 12 0 .284 .342 .373 .716
1987 92 67 63 11 14 1 1 1 20 9 3 2 1 1 2 0 0 11 1 .222 .242 .317 .560
1988 80 96 74 23 20 4 1 3 35 10 4 3 5 1 15 1 1 19 0 .270 .396 .473 .869
1989 68 76 63 14 17 3 1 1 25 4 7 0 2 0 11 2 0 17 0 .270 .378 .397 .775
1991 ヤクルト 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
通算:10年 467 431 365 92 85 15 4 6 126 31 21 9 15 2 46 4 3 89 2 .233 .322 .345 .667

記録[編集]

背番号[編集]

  • 51 (1980年 - 1990年)
  • 23 (1991年)

脚注[編集]

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  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、44ページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]