石川駿

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石川 駿
中日ドラゴンズ #9
Doragons ishikawashun 20160812.jpg
2016年8月12日 阪神鳴尾浜球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 滋賀県草津市西大路町
生年月日 (1990-05-26) 1990年5月26日(29歳)
身長
体重
178 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 2014年 ドラフト4位
初出場 2016年6月8日
年俸 600万円(2019年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

石川 駿(いしかわ しゅん、1990年5月26日 - )は、滋賀県草津市西大路町出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

草津市立草津第二小学校在学中に日の出ファイターズ入団し軟式野球を始め、草津市立草津中学校では軟式野球部に所属していた。2006年4月滋賀県立北大津高等学校へ入学し、硬式野球に転向。1年夏からレギュラーとなり主に7番打者で出場し、同年秋季大会準決勝で則本昂大が在籍する滋賀県立八幡商業高等学校に勝利するも決勝で小熊凌祐が在籍する近江高等学校に敗れ準優勝で秋の近畿大会に出場してベスト4となった。2年からは4番セカンドとして定着し、春に第79回選抜高等学校野球大会へ出場したが初戦で3安打1打点2得点の活躍を見せたが初戦敗退となった。同年夏は滋賀大会決勝で近江高に敗れ準優勝だったものの、以降主将となり同年秋季滋賀大会で準優勝、近畿大会ベスト8だったが、翌3年春に第80回選抜高等学校野球大会に出場した。初戦突破し2回戦で同学年の倉本寿彦土屋健二、1学年下の筒香嘉智らが在籍する横浜高校戦では4番として出場し6回裏に土屋から大会通算600号の記念ホームランを放つなどし滋賀県勢として横浜高校に初勝利するも3回戦で敗れた[2]。同年春季大会は3回戦敗退、夏の滋賀大会は初戦の石部高等学校との試合中に左手首付近に死球を受け負傷退場し、その後左尺骨骨折で全治1カ月と診断され離脱した[3]。チームは準々決勝で敗退し夏の甲子園出場は果たせず、自身は高校通算49本塁打を記録したがプロ志望届は提出しなかった。なお高校時代の2学年下に西野颯が所属していた。

高校卒業後は明治大学政治経済学部に進学に伴い東京都へ移住し、2009年4月から硬式野球部に入部する。しかし1年時は前年の手首の骨折の影響、2年時は春に左ひざ靭帯損傷、3年時には打球が左目に当たり損傷による視力低下などのケガに苦しんだ。4年春にようやくリーグ戦初出場を果たし、そのシーズンに三塁のレギュラーとなり打率はリーグ8位タイの.321、2本塁打、13打点を記録する。4年秋は再びケガに苦しみ5試合の出場に終わりプロ志望届けは提出しなかった。リーグ通算20試合に出場、66打数20安打、打率.303、2本塁打、13打点、1盗塁を記録。なお大学時代のチームメイトは2学年上に荒木郁也、1学年上に野村祐輔阿部寿樹島内宏明柴田章吾、同学年に上本崇司、1学年下に岡大海関谷亮太、2学年下に山崎福也糸原健斗福田周平、3学年下に上原健太坂本誠志郎高山俊などがおり、阿部とはプロ入り後再びチームメイトとなっている。在学時コーチだった松岡功祐もプロ入り後再び同じチームに所属している。

大学卒業後の2013年4月にJX-ENEOSへ入社に伴い川崎市へ移住し、背番号2番でプレーすることになる。しかし入社してすぐ急性虫垂炎で入院し離脱したが同年7月の第84回都市対抗野球大会では2回戦で2本塁打を放ち[4]、決勝ではのちのチームメイトとなる阿知羅拓馬石岡諒太が所属するJR東日本硬式野球部に勝利し優勝に貢献するなど、大会中打率.400、3本塁打、7打点の成績を残し若獅子賞と二塁手部門の大会優秀選手を受賞する。同年の第39回社会人野球日本選手権大会にも出場したが秋吉亮足立祐一が所属するパナソニック野球部に敗れて初戦敗退だった。2014年第85回都市対抗野球大会では準決勝で敗退し、9月には仁川アジア大会野球日本代表に選ばれ出場した。同年プロ野球ドラフト会議にて中日ドラゴンズから4位指名を受け入団。背番号は9に決まった。JX-ENEOSでは、ともに仁川アジア大会に出場した井領雅貴も中日から6位指名を受け、入団している。三上朋也は1年間、大城基志は2年間チームメイトであった。

中日時代[編集]

2015年は、春季キャンプは一軍に帯同し、3月2日に行われたオープン戦では初スタメンでチームの新人第一号となるホームランを放つなどしたが、開幕前に腰痛を発症し離脱する。1ヶ月半のリハビリを経て復帰するが復帰初日に打球を受け左鎖骨周辺の上部肋軟骨を骨折する怪我が相次ぎ、同期生で唯一一軍出場できず二軍戦でも19試で2安打という成績に終わり11月20日の契約更改では25%ダウン提示でサインした。

2016年は春季キャンプから二軍だったものの、6月7日に一軍初登録され、翌日地元関西の京セラドーム大阪で一軍初出場を果たすもノーヒット、6月11日には初犠打を決めたが結局ノーヒットのまま6月15日に出場選手登録抹消された。7月1日にはフレッシュオールスターゲームへ選出され、当日は1安打を記録したもののその後は一軍登録されずシーズンを終え、10月には2年連続でフェニックスリーグへ参加した。11月11日には100万円ダウンの推定年俸650万円で2年連続ダウン更改した[5]

2017年も春季キャンプから二軍だったが、3月に一軍合流し、オープン戦で結果を残し自身初の開幕一軍登録を果たしたが、5打数ノーヒットで4月10日に登録抹消された。その後は長らく一軍登録されず、9月30日に一軍再登録され、10月3日にJX-ENEOS時代に慣れ親しんだ横浜スタジアムで一軍初安打を記録し、さらに一軍初猛打賞も記録した。その後10月10日に阪神甲子園球場でこの日が引退試合となった安藤優也から左翼ポール際に一軍初本塁打を放ち、同時に一軍初打点を記録した[6]。試合翌日10月11日には宮崎に移動し3年連続でフェニックスリーグへ参加し、同年11月22日の契約更改では現状維持の推定650万円でサインした[7]12月30日には自身が小中学生時代にプレーした草津グリーンスタジアムで野球教室を開催し、同日KUSATSU BOOSTERSへの加入と委嘱式が行われた[8]

2018年は3年ぶりに一軍キャンプスタートだったが2月下旬に怪我で離脱し、4月上旬に実戦復帰を果たす。7月7日に同年一軍初登録され、7月9日に代打出場したもののセンターフライに終わり、その後は試合出場することなく7月18日に登録抹消された。その際「一打席で結果を残せなかった自分が悪い」とコメントを残し、同日ウエスタンリーグの試合出場していたが、守備中の打球処理の際に脱臼し、そのままシーズン終了まで実戦復帰できずに終わった。その後リハビリを経て10月に4年連続でフェニックスリーグに参加し実戦復帰を果たしたが、11月24日の契約更改では一軍出場1試合に終わったこともあり50万円ダウンの600万円で契約更改した[9]

2019年も2年連続で一軍キャンプキャンプスタートだったが、二軍の内野手不足によりキャンプ終了後に二軍合流となった。その後二軍出場を続け5月3日に同年一軍初登録されたが代打出場5打数ノーヒットで5月23日に抹消された。その後は長期離脱することなくウエスタンリーグの試合出場を続け、9月に自身初の規定打席に到達し、ウエスタンリーグで首位打者最高出塁率に到達していた9月19日に一軍再登録された。9月25日に代打出場し、2年ぶりとなる一軍安打及び一軍初三塁打及び一軍初適時打を放つも[10]同年の一軍安打はこの一本に終わった。また9月27日のウエスタンリーグ全日程終了に伴い打率3割1分7厘で首位打者と出塁率3割6分8厘で最高出塁率[11]のタイトルが確定した[12]。10月からは5年連続でフェニックスリーグに参加したものの、秋季キャンプは主力メンバーの集まる北谷組から外された。11月9日に契約更改し、現状維持の600万円でサインした[13]。11月26日にNPB AWARDSに初参加し、前述の首位打者と最高出塁率及びウエスタンリーグ優秀選手賞の表彰を受けた[14]

選手としての特徴・人物[編集]

ヘッドを効かせたスイングで広角にライナー性の打球を飛ばす右の強打者。積極的な打撃が持ち味。当時のスカウト部長だった中田宗男から「パワーに加えて、バットのヘッドの使い方がうまい。相当本塁打を打つよ。チームで一番打つ可能性がある」「即戦力のトップクラス」と絶賛された[15]

あこがれのプロ野球選手は北大津の先輩にあたる中西健太で、過去に一緒に練習を行っていた[16]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2016 中日 2 6 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2017 9 17 17 1 6 0 0 1 9 1 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .353 .353 .529 .882
2018 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2019 8 8 8 0 1 0 1 0 3 3 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .125 .125 .375 .500
NPB:4年 20 32 31 1 7 0 1 1 12 4 0 0 1 0 0 0 0 10 0 .226 .226 .387 .613
  • 2019年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]



三塁 一塁 二塁




































2016 中日 2 4 2 0 0 1.000 - -
2017 1 0 0 0 0 .--- 1 9 0 0 0 1.000 3 4 3 0 1 1.000
2019 - 1 3 0 0 0 1.000 -
通算 3 4 2 0 0 1.000 2 12 0 0 0 1.000 3 4 3 0 1 1.000
  • 2019年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 9 (2015年 - )

脚注[編集]

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  1. ^ 中日 - 契約更改 - プロ野球. 日刊スポーツ. 2019年1月14日閲覧。
  2. ^ https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/senbatsu/2008/news/p-bb-tp3-20080328-341137.html.日刊スポーツ.2008年3月28日
  3. ^ イタッ!通算49本塁打二塁手死球で全治1カ月.スポニチ.2008年7月14日
  4. ^ JX―ENEOS 石川 150メートル弾 初出場で2発.スポニチ.2013年7月19日
  5. ^ 中日石川「力になれず」1軍デビューも100万減.日刊スポーツ.2016年11月11日
  6. ^ 【中日】石川、プロ初本塁打!「必死にいった」引退登板の安藤からプロ1号.スポーツ報知.2017年10月10日
  7. ^ 中日石川は現状維持で更改「継続して1年間できた」.日刊スポーツ.2017年11月22日
  8. ^ 滋賀)中日・石川内野手が児童に指導 草津で野球教室.朝日新聞.2017年12月31日
  9. ^ 中日・石川「契約していただいただけで納得」50万円減の600万円.スポーツニッポン.2018年11月24日
  10. ^ 中日・石川駿 今季初安打がプロ初三塁打!ウエスタンL打率トップが代打で走者一掃打.スポーツニッポン.2019年9月25日
  11. ^ 2019年度 表彰選手 (ウエスタン・リーグ) NPB 公式サイト
  12. ^ 中日所属選手の首位打者は2011年の柳田殖生以来8年ぶり
  13. ^ 「勝負できる形はできた」小笠原道大前2軍監督からの言葉を胸に中日・石川駿ブレーク誓う ウエスタン首位打者も1軍では1安打.中日スポーツ.2019年11月9日
  14. ^ ウエスタンリーグ2冠も「1軍で成績残せてナンボ」中日・石川駿 表彰に気を引き締める.中日スポーツ.2019年11月26日
  15. ^ 中日スポーツ 2014年10月29日
  16. ^ ボールパーク便り ルーキー特集(8)県立高校出身の強打者 石川駿.明大スポーツ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]