石川重次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
石川重次
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 永禄4年(1561年
死没 慶長18年12月14日1614年1月23日
別名 重政(諱)、八左衛門、又四郎
戒名 浄雲
主君 松平信康徳川家康秀忠
氏族 石川氏
父母 石川重政
兄弟 重次、坂部与三右衛門室
犬塚氏
政次重勝重俊今村正長室、大河内正勝

石川 重次(いしかわ しげつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。徳川氏の家臣。

生涯[編集]

最初は徳川家康の子信康付きの家臣だったが、天正7年(1579年)信康が処刑されると、内藤家長与力との話もあったがこれを固辞して逐電した。天正8年(1580年)家康が駿河に出兵した際、密かに石川数正隊に属して武田氏足軽大将須藤左門を討ち、それが評判となって再度家康に召し抱えられた。天正10年(1582年天正壬午の乱で武功があり、天正12年(1584年小牧・長久手の戦いでは大須賀康高隊に属し、同年の蟹江城合戦では先鋒となった。天正18年(1590年小田原征伐にも従軍。慶長3年(1598年朝鮮半島から撤兵指示を伝えるための使者を務めた。後年、徳川秀忠使番普請奉行となった。

参考文献[編集]