石川達紘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
石川 達紘[1]
いしかわ たつひろ
生年月日 (1939-04-04) 1939年4月4日(81歳)
出身校 山口県立下松工業高等学校[1]
中央大学法学部法律学科[1]

在任期間 2000年 - 2001年[1]

在任期間 1999年 - 2000年[1]

在任期間 1997年 - 1999年[1]

東京地方検察庁特別捜査部
在任期間 1989年 - 1991年[1]
テンプレートを表示

石川 達紘(いしかわ たつひろ 1939年4月4日 - )は、日本検察官。退官後は弁護士第一東京弁護士会)。

検察官としては、東京地方検察庁特別捜査部長(東京地検特捜部長)を経験。名古屋高等検察庁検事長を最後に退官した。

来歴・人物[編集]

山口県出身。1958年下松工業高校工業化学科卒業。1962年中央大学法学部を卒業し22歳で司法試験合格。司法修習生17期を経て、1965年に検事任官。任官同期に原田明夫検事総長)ら。

1982年東京地検特捜部副部長に就任。岡田茂三越事件、リッカー事件、平和相互銀行事件新薬スパイ事件撚糸工連事件などに関わる。1986年10月、河井信太郎以来、私立大学出身者としては2人目の法務省刑事局刑事課長に[2]。のち法務省大臣官房会計課長を経て、1989年に東京地検特捜部長に。経世会支配のなか、金丸信の脱税事件、ゼネコン汚職事件などを指揮した。

以後、1991年佐賀地検検事正、1992年最高検検事、1993年東京地検次席検事、最高検検事、1995年静岡地検検事正、1994年最高検公判部長に就任。

最高検に戻った1994年、土肥孝治検事総長の指示で、住専事件の貸し手借り手の刑事責任を問う「国策捜査」のなかにあったが、これは行政のミスの尻拭いにすぎず、「特捜」らしくない事件であった。1996年5月10日上田広一特捜部長に断った上で、笠間治雄特捜副部長(財政経済担当)に泉井事件の捜査に正式にとりかかるよう指示した。当時検察の中でも石川は、最も国税庁や現場の査察部と親密な関係にあったとされ、東京国税局査察部長 鳥羽衛 - 笠間治雄のラインで事件が動き出していくこととなった。但し、事件としては三菱三井財閥系企業から通産省大蔵省ラインでの汚職、早稲田運動部人脈を通じた主要政界汚職でのラインともに不発に終わった。これは1997年熊崎勝彦特捜部長の下で、大蔵省接待汚職事件での金融検査官と中堅キャリア官僚逮捕伏線ともなり、検察と大蔵・国税との緊密関係にも隙間風が吹いた[3][4]

1997年2月、東京地検検事正時代には、中井憲治特捜部長に防衛庁調達実施本部背任事件に取り掛かることを指示した。のちに額賀福志郎防衛庁長官の辞任にまで及んだ。この頃から、大蔵汚職事件から続く一連の捜査の流れで「法務官僚派」と「捜査現場派」との対立構図が鮮明化したとされ、本命の原田明夫に対して対抗の石川を検事総長にする両派の対立構図としても描かれた。

石川自身は高検検事長への昇進を辞退して退官するつもりだったが、則定衛・東京高検検事長(次の検事総長と目されていた[5])の女性スキャンダルがあり、検察庁の人事上、退官できず、1999年9月、福岡高検検事長、2000年11月から2001年11月まで名古屋高検検事長。次長検事への就任は辞退して退官した[6]

2001年11月退官。同年12月、第一東京弁護士会に弁護士登録する。2002年4月亜細亜大学法学部教授(~2010年3月退職)。同年6月日本興亜損害保険株式会社取締役。同年同月パイオニア株式会社取締役。同年8月特種製紙株式会社役員待遇特別顧問。2003年6月特種製紙株式会社取締役。同年同月株式会社北海道銀行監査役。同年同月株式会社アイビー化粧品監査役。同年同月東鉄工業株式会社監査役。2004年6月林兼産業株式会社取締役。同年同月セイコーエプソン株式会社監査役。

週刊現代によると、堤義明の顧問弁護士を務めていた[7]。同じく週刊現代によると、東横イン会長に就任し、水谷功(元・水谷建設会長)の弁護人、消費者金融武富士創業者一族の弁護人を務めた[7]

2009年4月から横浜薬科大学非常勤講師(「社会と法律」の講義を担当)。

2009年春、瑞宝重光章受章。

2018年2月、暴走事故を起こし、自動車運転処罰法違反の過失致死罪に問われているが、過失を認めておらず無罪を主張している[7]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g メンバー 石川 達紘” (日本語). 光和総合法律事務所. 2020年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月17日閲覧。
  2. ^ 「CD 現代日本人名録 2000」より
  3. ^ 『市場検察』(村山治、文藝春秋、2008年4月25日)P164・P165~P199
  4. ^ 大蔵汚職事件から司法制度改革の流れを経て小泉政権の成立以降、特捜部の捜査の中心も政界汚職から経済事件へシフトした。国税庁・金融庁公正取引委員会証券取引等監視委員会などのお膳立ての下、市場システムをいかに守るかに主眼が置かれるようになった 「小沢強制起訴は人民裁判か」 文藝春秋 2010年12月号 P203
  5. ^ 弁護士会の読書:『噂の真相』25年戦記” (日本語). 福岡県弁護士会 (2005年3月7日). 2019年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月28日閲覧。
  6. ^ 『市場検察』(村山治)P231~
  7. ^ a b c “20代女性と早朝ゴルフで「暴走ひき殺し」超有名弁護士・78歳の転落” (日本語). 週刊現代. (2018年3月15日). オリジナルの2018年6月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180603223830/http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54650 2018年6月3日閲覧。 


先代:
松田昇
東京地方検察庁特捜部長
1989年 - 1991年
次代:
五十嵐紀男
先代:
高橋武生
東京地方検察庁検事正
1997年 - 1999年
次代:
甲斐中辰夫
先代:
吉村徳則
福岡高等検察庁検事長
1999年 - 2000年
次代:
豊嶋秀直
先代:
吉村徳則
名古屋高等検察庁検事長
2000年 - 2001年
次代:
河内悠紀