石川経夫
石川 経夫 | |
|---|---|
| 生誕 |
1947年3月11日 神奈川県鎌倉市 |
| 死没 | 1998年6月26日(51歳没) |
| 国籍 |
|
| 研究分野 | 理論経済学、所得分配、労働市場、マクロ経済学 |
| 研究機関 | 東京大学、ハーバード大学 |
| 出身校 | 東京大学、ジョンズ・ホプキンズ大学 |
| 博士課程指導教員 | ピーター・ケネス・ニューマン、ユルク・ニーハンス |
| プロジェクト:人物伝 | |
石川 経夫(いしかわ つねお、1947年3月11日 - 1998年6月26日)は、日本の経済学者。東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授。専門・関心は所得分配、労働市場、マクロ経済学、日本経済分析など。ジョンズ・ホプキンズ大学でPh.D.を取得し、25歳でハーバード大学経済学部助教授となったのち、東京大学経済学部助教授・教授を務めた[1][2][3]。
石川は、所得と富の形成・分配、労働市場の二重構造、労働過程、家族・教育と分配の関係などを主題とし、経済活動の成果がどのように分配されるか、またどのような分配が公正といえるかを、理論と実証の両面から検討した[4][5][6][7]。主著に、生前唯一の単著である『所得と富』(1991年)、没後刊行の論集『分配の経済学』(1999年)、英文論文集 Income Distribution Theory: Family, Social Values and Work(2001年)がある[1][6][7]。
宇沢弘文は、石川を、既成の新古典派経済学を超えて社会正義・公正・平等の視点から経済学の新しい展開を主導した研究者と評価した[1][8]。石川の死後、その業績を記念して石川経夫基金が設けられ、同基金をもとに日本経済学会・石川賞が創設された[9]。
来歴
[編集]生い立ちと教育
[編集]1947年3月11日、経済学者の石川滋と道子の長男として、神奈川県鎌倉市に生まれた[10]。父の石川滋は、時事通信社記者を経て一橋大学経済研究所助教授となり、中国経済・アジア経済の研究を進めた経済学者であった[11][10]。
1957年から1958年にかけて、父のハーバード大学での研究に伴い、家族とともに米国ボストンで暮らした。この時期、石川は現地の公立学校に通い、ボストン公立図書館で読書する姿が現地紙『ボストン・グローブ』に掲載された[11]。また、父と同時期にハーバード大学に滞在していた小宮隆太郎と家族ぐるみで接し、のちに東京大学で小宮ゼミに入ることを目標にしたとされる[12]。
帰国後、杉並区立第五小学校、杉並区立天沼中学校を経て、筑波大学附属中学校・高等学校に進学した。同校では、のちに経済学者となる岩井克人、奥野正寛らと同級であった[13]。高校時代には一時、理科系への進学も考えたが、高校2年の時期に経済学を学ぶことを決めたとされる[13]。
東京大学と山谷地区学習会
[編集]1965年4月、東京大学文科二類に入学した[1][13]。入学後、石川は東京都台東区・荒川区にまたがる山谷地域で、子どもたちに勉強を教える山谷地区学習会の活動に参加した[13][14]。
大学2年時に書いた文章「僕達と社会」では、石川は山谷での活動を、現実の社会を知ろうとする試みとして振り返り、社会科学が客観的認識にとどまらず、「あるべきもの」としての社会とどのように関わるかを問題にしていた[13][14]。佐々木実は、この経験を、石川が経済学者として社会的現実と分配の問題に向き合うための初期の体験として位置づけている[14]。
米国留学とハーバード大学
[編集]東京大学経済学部では小宮隆太郎のゼミに所属した[1][12]。1968年からの東大紛争の影響により、石川、岩井克人、奥野正寛らは東京大学大学院への進学を予定通り行うことができず、宇沢弘文、小宮隆太郎、浜田宏一らの支援を受けて米国の大学院に進学した[1][2]。
石川は1969年9月にジョンズ・ホプキンズ大学大学院に入学し、1972年11月に同大学で博士号を取得した[1][15]。博士論文の題目は「The Dynamics of Wealth Accumulation and Education under Different Family Institutions as Determinants of the Size Distribution of Income」(所得規模分布の決定要因としての、異なる家族制度下における富の蓄積と教育の動態)であった[15]。博士論文執筆にあたってはケネス・アローと関わりを持ち、1973年2月、25歳でハーバード大学経済学部助教授に就任した[1][2]。
ハーバード大学では、アローや青木昌彦に加え、サミュエル・ボウルズ、ハーバート・ギンタス、スティーブン・マーグリンら、ラディカル・エコノミクスに関わる研究者とも交流した[16][17][2]。橘木俊詔は、石川がジョンズ・ホプキンズ大学時代にはラディカル・エコノミクスと直接関係しておらず、ハーバード大学に移ってからこうした研究者と交流を持つようになったのだろうと述べている[17]。
東京大学での研究・教育
[編集]1975年9月、東京大学経済学部助教授となり、1988年4月に同教授となった[1]。KAKENの研究者情報では、1986年度から1987年度に東京大学経済学部助教授、1988年度から1993年度および1995年度に東京大学経済学部教授、1996年度から1998年度に東京大学大学院経済学研究科教授として記録されている[3]。同情報では、研究キーワードとして、家計貯蓄、日本、所得分配、日本の労働市場、二重構造、賃金格差、資産分配、機会の均等、不平等、労働分配率などが挙げられている[3]。
東京大学では、所得分配、家計貯蓄、労働市場の二重構造、日本経済分析などを研究し、大学院教育にも携わった。岩井克人は、石川が講義や学生指導、研究会の組織、論文集の編集に熱心であり、周囲に与え続ける研究者・教師であったと回想している[1][18]。
石川は1996年3月に心臓発作で倒れ、いったん復職したが、1997年3月に再び倒れた。1998年6月26日、51歳で死去した[1]。死後、代表的論文を収めた『分配の経済学』が1999年に東京大学出版会から刊行された[1][6]。
研究
[編集]研究構想の形成
[編集]石川の研究は、所得と富の理論を中心に、資本蓄積、企業貯蓄、労働市場、教育、家族、社会的共通資本へと展開した。植村博恭は、これらを制度についての理解と理論・実証分析を結びつけた一連の研究として再構成している[19]。
東京大学4年時の1969年に執筆した経済成長論の論文では、石川は新古典派成長理論とニコラス・カルドアの理論を比較した。植村によれば、石川は両者の違いを、経済の原動力を貯蓄の決定に求めるか投資の決定に求めるかという点に見いだし、さらに貨幣市場の分析と接続する必要を指摘していた[19]。ハーバード大学ではマーグリン、ボウルズ、ギンタスらと交流し、帰国後は所得分配をマクロ経済の動態や企業・労働市場の制度と結びつける研究を進めた[20][19]。
資本蓄積・企業貯蓄と所得分配
[編集]石川は1970年代から、現代資本主義における資本蓄積と所得分配の相互作用を研究した。「現代資本主義の基本的動態類型」や「労働組合制約下の資本蓄積と所得分配」では、賃金・利潤の分配と資本蓄積をマクロ経済の動学として分析した。これらの研究は、没後の論文集『分配の経済学』第I部に収録された[6][19]。
その後は「企業貯蓄・金融市場と巨視的分配」や「家計の富と企業の富」などを通じて、企業部門に蓄積される貯蓄や資産と、家計間の所得・富の分配との関係を検討した[6][20][19]。植村は、この研究を、企業や労働市場についてのミクロ的な制度分析とマクロ経済分析を接続する試みとして位置づけている[20]。
労働市場の二重構造
[編集]石川は、労働市場を、企業固有の熟練を蓄積する「内部労働」と、それを持たない「外部労働」に分けて分析した。内部労働者は企業特殊的な熟練を得る一方、固定的な生産要素としてレントの分配に参加する。内部労働市場への参入に伴う利益が就職時の低賃金などの「参入料」によって調整されない場合、雇用は価格ではなく数量によって割り当てられ、同程度の能力や教育を持つ労働者の間にも非自発的な格差が残ると考えた[21]。
楡井誠は、この分析について、正当化できる賃金差を取り除いた後にも、内部労働市場への参入機会の割当てによる「真の格差」が存在することを示したものと説明している。また、石川の二重労働市場論は、新古典派の人的資本論と、ラディカル派の労働市場論を接続する独自の位置を占めたと評価している[22]。
石川と出島敬久は、編著『日本の所得と富の分配』所収の「労働市場の二重構造」で、この仮説を日本の労働市場について実証的に検討した。村松久良光によれば、両者は労働者と職場の属性から所属部門を推定する式と、部門別の賃金方程式を同時に推定し、一次部門では学歴、外部経験、内部経験が評価されるのに対し、二次部門では主として内部経験が評価されるという違いを示した[23]。
労働過程・教育・家族
[編集]石川の博士論文は、家族制度の違いのもとでの富の蓄積と教育を所得分布の決定要因として扱っており、家族・教育と分配の関係は初期からの研究主題であった[15]。英文論文集 Income Distribution Theory にも、人的投資と学習、家族・世代と貯蓄、労働意欲と職務満足に関する論文が収められている[7]。
石川は、労働力を人間から切り離せる通常の商品として扱うことに批判的であり、仕事を通じた遂行学習や能力形成を分析した。楡井は、この議論から、失業が賃金の喪失だけでなく、労働を通じた能力形成の機会の喪失にもつながるという含意を読み取っている[24]。また、仕事の編成は技術的効率だけで自動的に決まるのではなく、企業による労働者の統制や分配上の動機によって歴史的に選択され得るという問題を検討した[25]。
晩年には「社会的共通資本としての学校教育」を執筆し、学校教育を社会的共通資本という視点から論じた[6]。植村は、石川が労働者の市民としての自律性を高める労働市場を社会的共通資本として構想したと解釈している[20]。
『所得と富』
[編集]1991年刊行の『所得と富』は、石川が生前に刊行した唯一の単著であり、日経・経済図書文化賞を受賞した[1][5]。同書は、同程度に努力する人々の所得がなぜ異なるのか、その差を公正と評価できるのかという問題を出発点に、労働市場、教育、富の形成、仕事の内容と人間形成を分析した[26]。
楡井は、同書の体系の中心には労働が置かれ、石川が構想していた新たなマクロ経済学の一端が示されていると評している[27]。
学説上の位置づけと影響
[編集]研究史上の位置づけ
[編集]植村博恭は、石川を宇沢弘文とともに日本の制度派ポスト・ケインジアンの系譜に位置づけ、宇沢の問題意識を継承しながら、ミクロ的な制度分析とマクロ経済分析を統合した研究者と評価している[20]。また、石川の個々の理論・実証研究の基礎には、経済全体についての構想と制度認識があったとして、その研究を資本蓄積、企業貯蓄、労働市場、教育、社会的共通資本を結ぶ体系として再評価している[19]。
同時代の書評では、橘木俊詔が『所得と富』を教科書の枠を超えた研究書として評価した[28]。村松久良光は『日本の所得と富の分配』について、各論文を今後参照されるべき成果として高く評価する一方、用いる統計による不平等度の違いや、各章の結果相互の関係について説明の余地が残るとも指摘した[23]。
宇沢弘文は、石川を「日本を代表する経済学者の一人」とし、既成の新古典派経済学を超えて、社会正義、公正、平等の視点から経済学の新たな展開を主導した研究者と評価した[1][8]。吉川洋は、日本で格差が大きな社会問題となる以前から、市場が格差を生み出す仕組みを理論と実証の両面から追究していた点を評価している[16]。
後続研究への影響
[編集]石川に学んだ玄田有史は、2010年に『人間に格はない―石川経夫と2000年代の労働市場』を刊行した。同書では、格差、若年無業、非正規雇用、長時間労働などを扱い、石川の二重労働市場論と分配に関する問題意識を2000年代の日本の労働市場へ展開した[29]。
玄田は、石川から継承した問題意識として、経済的・社会的な困難を個人の能力や意欲に帰着させるのではなく、その状況を生み出す制度やシステムを検討する姿勢を挙げている[4]。また、石川の二重労働市場論は、正規・非正規雇用間の分断を考察する先行研究としても読み直されている[22][29]。
石川経夫基金・英訳・石川賞
[編集]石川の死後、関係者や教え子によって石川経夫基金が設けられた。基金の事業の一つとして『所得と富』の英訳が進められ、石川の病気と死によって中断していた翻訳を元学生らが引き継ぎ、玄田有史が作業を取りまとめた[30]。英訳は Income and Wealth としてOxford University Pressから刊行された[31]。
基金は石川の業績を紹介する事業を行ったのち、日本経済学会へ寄付された。日本経済学会は2004年9月、石川の日本経済分析への貢献を記念して日本経済学会・石川賞を創設することを決定した[9]。同賞は、実証面・政策面を中心とする優れた経済学研究、とくに日本の経済・社会問題の解決に寄与する研究を顕彰するものとされる[9]。
著作
[編集]単著
[編集]- 『所得と富』岩波書店、1991年。ISBN 978-4-00-004333-5[1][32]
英訳
[編集]- Income and Wealth, Oxford University Press, 2001. ISBN 978-0-19-828862-6(『所得と富』英訳)[31][30]
没後論文集
[編集]- 『分配の経済学』東京大学出版会、1999年。ISBN 978-4-13-040166-1[6]
- Income Distribution Theory: Family, Social Values and Work, 東京大学出版会、2001年。ISBN 978-4-13-047066-7[7]
編著
[編集]- 『日本の所得と富の分配』東京大学出版会、1994年。ISBN 4-13-040139-4[33]
共編著
[編集]- 岩田規久男・石川経夫編『日本経済研究』東京大学出版会、1988年。ISBN 978-4-13-040105-0[34]
監訳
[編集]- ユルク・ニーハンス『貨幣の理論』石川経夫監訳、東京大学出版会、1982年。ISBN 978-4-13-041007-6[35]
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 佐々木 2025a.
- 1 2 3 4 奥野ほか 2025.
- 1 2 3 KAKEN 2026.
- 1 2 玄田ほか 2025.
- 1 2 佐々木 2025b.
- 1 2 3 4 5 6 7 東京大学出版会 1999.
- 1 2 3 4 東京大学出版会 2001.
- 1 2 佐々木 2026a.
- 1 2 3 日本経済学会 2026.
- 1 2 佐々木 2026b.
- 1 2 佐々木 2025c.
- 1 2 佐々木 2026c.
- 1 2 3 4 5 佐々木 2026d.
- 1 2 3 佐々木 2026e.
- 1 2 3 Mathematics Genealogy Project 2026.
- 1 2 吉川ほか 2025.
- 1 2 橘木ほか 2025.
- ↑ 岩井ほか 2025.
- 1 2 3 4 5 6 植村 2026.
- 1 2 3 4 5 植村 2023.
- ↑ 楡井 2023, pp. 30–32.
- 1 2 楡井 2023, pp. 31–32.
- 1 2 村松 1996, pp. 362–363.
- ↑ 楡井 2023, pp. 32–33.
- ↑ 楡井 2023, p. 33.
- ↑ 楡井 2023, p. 30.
- ↑ 楡井 2023, pp. 30–33.
- ↑ 橘木 1992, pp. 86–88.
- 1 2 玄田 2010.
- 1 2 Oxford University Press 2002.
- 1 2 石川 2001.
- ↑ 橘木 1992.
- ↑ CiNii 2026.
- ↑ 東京大学出版会 1988.
- ↑ 東京大学出版会 1982.
参考文献
[編集]- Ishikawa, Tsuneo (2001) (英語). Income and Wealth. Oxford: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-828862-6 2026年7月31日閲覧。
- Uemura, Hiroyasu (2023). “Hirofumi Uzawa and Tsuneo Ishikawa: Institutionalism, Macroeconomic Analysis, and Social Common Capital” (英語). Japanese Institutionalist Post-Keynesians Revisited. Singapore: Springer. pp. 57–72. doi:10.1007/978-981-19-8688-8_5. ISBN 978-981-19-8688-8
- Uemura, Hiroyasu (2026-07-20). “Re-reading Tsuneo Ishikawa: theoretical and institutional economics of income and wealth” (英語). Evolutionary and Institutional Economics Review. doi:10.1007/s40844-026-00348-3 2026年7月31日閲覧。.
- 橘木俊詔「石川経夫著『所得と富』」『経済学論集』第57巻第4号、1992年、86–88頁、doi:10.32173/jeut.57.4_86、2026年7月31日閲覧。
- 村松久良光「石川経夫編『日本の所得と富の分配』」『経済研究』第47巻第4号、1996年10月、362–363頁、2026年7月31日閲覧。
- 楡井誠「石川経夫『所得と富』」『日本労働研究雑誌』第753号、労働政策研究・研修機構、2023年4月、30–33頁、2026年7月31日閲覧。
- 玄田有史『人間に格はない―石川経夫と2000年代の労働市場』ミネルヴァ書房、2010年。ISBN 978-4-623-05622-4。2026年7月31日閲覧。
- 東京大学大学院経済学研究科・経済学部『自己点検・評価報告書』(レポート)2021年3月、14頁。2026年7月31日閲覧。
- “Acknowledgements” (英語). Oxford Academic. Oxford University Press (2002年2月7日). 2026年7月31日閲覧。
- “石川 経夫 (90107483)”. KAKEN. 国立情報学研究所. 2026年7月31日閲覧。
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- “日本の所得と富の分配”. CiNii Books. 国立情報学研究所. 2026年7月31日閲覧。
- 佐々木実「特集 よみがえる石川経夫 資本主義における「正義」を問いつづけた51年の生涯」『週刊エコノミスト』毎日新聞出版、2025年1月7日。2026年7月31日閲覧。
- 玄田有史・佐々木実・浜條元保「特集 よみがえる石川経夫 愛弟子が語る 玄田有史 「人間に格はない」が私の原点」『週刊エコノミスト』毎日新聞出版、2025年1月7日。2026年7月31日閲覧。
- 吉川洋・佐々木実・浜條元保「特集 よみがえる石川経夫 後輩が語る 吉川洋 ピケティ同様に注目されていい経済学者」『週刊エコノミスト』毎日新聞出版、2025年1月7日。2026年7月31日閲覧。
- 橘木俊詔・佐々木実・浜條元保「特集 よみがえる石川経夫 同期が語る 橘木俊詔 経済学者になるために生まれてきた人」『週刊エコノミスト』毎日新聞出版、2025年1月7日。2026年7月31日閲覧。
- 岩井克人・佐々木実・浜條元保「特集 よみがえる石川経夫 同期が語る 岩井克人 新古典派理論に対抗した同志だった」『週刊エコノミスト』毎日新聞出版、2025年1月7日。2026年7月31日閲覧。
- 奥野正寛・佐々木実・浜條元保「特集 よみがえる石川経夫 同期が語る 奥野正寛 石川君は学生運動、私は闘争激化回避にあがいた」『週刊エコノミスト』毎日新聞出版、2025年1月7日。2026年7月31日閲覧。
- 佐々木実「特集 よみがえる石川経夫 「人間が働く」、その根源的な意義を経済学者たちに問うた『所得と富』」『週刊エコノミスト』毎日新聞出版、2025年2月4日。2026年7月31日閲覧。
- 佐々木実「特集 よみがえる石川経夫 1957年のクリスマス 10歳の少年は運命にみそめられた」『週刊エコノミスト』毎日新聞出版、2025年2月4日。2026年7月31日閲覧。
- 佐々木実「早世した天才経済学者・よみがえる石川経夫/1 経済学で日陰に置かれた分配問題に理論家として生涯をかけて挑む」『週刊エコノミスト』毎日新聞出版、2026年2月17日。2026年7月31日閲覧。
- 佐々木実「早世した天才経済学者・よみがえる石川経夫/2 祖父は「猪突猛進」の実業家 香港特派員の父が経済学者に」『週刊エコノミスト』毎日新聞出版、2026年3月31日。2026年7月31日閲覧。
- 佐々木実「早世した天才経済学者・よみがえる石川経夫/3 戦後の経済学を牽引した米国の光と影 東西冷戦下の赤狩りは経済学者にも」『週刊エコノミスト』毎日新聞出版、2026年4月28日。2026年7月31日閲覧。
- 佐々木実「早世した天才経済学者・よみがえる石川経夫/4 「お父さんと同じ道を行く」 16歳で決断した経済学者への道」『週刊エコノミスト』毎日新聞出版、2026年6月9日。2026年7月31日閲覧。
- 佐々木実「早世した天才経済学者・よみがえる石川経夫/5 山谷は善意が通用する街などではなかった…」『週刊エコノミスト』毎日新聞出版、2026年7月7日。2026年7月31日閲覧。