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矢野諭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
矢野 諭
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 香川県綾歌郡綾南町(現:綾川町
生年月日 (1978-04-25) 1978年4月25日(46歳)
身長
体重
184 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 ドラフト1位
初出場 1997年5月31日
最終出場 2005年7月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

矢野 諭(やの さとし、1978年4月25日 - )は、香川県綾歌郡綾南町(現:綾川町)出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴

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帝京第五高校時代は、1996年夏の全国高等学校野球選手権愛媛大会決勝戦で松山商業に敗れ準優勝。同年のドラフト会議日本ハムファイターズが1位指名で交渉権を獲得し契約金8000万円、出来高払い2000万円、年俸700万円(金額は推定)で入団合意した[1]

1997年5月31日の対千葉ロッテマリーンズ戦で一軍初登板・初先発し勝利投手となった。これは球団では1966年の森安敏明以来、31年ぶりの高卒ルーキーの初登板初先発勝利だった[2][3]

翌年以降に新人王の資格を持っていたが97年オフのプロ野球スポーツイベントで両足首を故障。それ以降は故障と幾度の投球フォーム変更(トルネード投法サイドスローなど)の失敗により、一軍での登板機会が減少し、二軍でも満足な成績を残せなかった。

2005年シュートを覚え3年ぶりの一軍登板を果たすと、安定感を欠いたものの中継ぎとして24試合に登板した。

2006年は二軍で24試合に登板して防御率0.73の成績だったが[4]、一軍での登板は無く9月29日に戦力外通告を受け12月1日に自由契約選手公示された[5]。同年限りで現役を引退し打撃投手に転向した。

選手としての特徴

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140km/h台のストレートスライダーシュートが武器。カーブフォークを投じることもあった。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1997 日本ハム 5 5 0 0 0 2 1 0 -- .667 95 20.2 23 4 11 0 1 10 2 0 10 10 4.35 1.65
1999 6 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 68 13.2 13 0 13 0 3 8 0 1 10 10 6.59 1.90
2001 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 20 3.2 7 2 3 0 0 2 1 0 4 4 9.82 2.73
2002 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 1.1 3 0 0 0 0 0 0 0 2 2 13.50 2.25
2005 24 0 0 0 0 0 1 0 2 .000 105 25.0 23 3 7 0 1 8 0 0 14 13 4.68 1.20
通算:5年 39 6 0 0 0 2 3 0 2 .400 294 64.1 69 9 34 0 5 28 3 1 40 39 5.46 1.60

記録

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背番号

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  • 20 (1997年 - 2006年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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