真田本城

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真田本城
長野県
真田本城の碑
真田本城の碑
別名 真田山城 松尾城
城郭構造 山城
築城主 真田幸隆
築城年 天文年間
主な城主 真田氏
廃城年 1585年
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 なし
位置 北緯36度26分28.10秒
東経138度19分26.80秒
地図
真田本城の位置(長野県内)
真田本城
真田本城

真田本城(さなだほんじょう)は、長野県小県郡真田町にあった日本の城山城)。戦国期に活躍する真田一族発祥の地である真田の郷にあった。別名は松尾城

概要[編集]

戦時用の山城であり、平時の政務機能は麓にある真田氏館に置かれた。真田盆地の対峰に要害の地戸石城を望み、更に周囲の峰々にも数多くの支城群が連なり、単体の山城ではなく真田盆地を取り囲む山城群の司令部的存在と考えられている[1]

別名「松尾城」とも呼ばれるが、その場合、鳥居峠方面にある支城「松尾城」は松尾古城と区別して呼ばれる。ただ築城時期を鎌倉時代とすると、松尾古城の方が古いという訳ではなくなり、はっきりしていない面が多い。

歴史[編集]

築城は戦国時代の天文年間(1532年 - 1555年)に、武田家臣の真田幸綱と伝わる。一方で、城の発掘調査によると縄張りは鎌倉時代の古い様式が見られ、真田氏以前にも山城が存在していたと考えられている。

天文10年(1541年)に甲斐国の武田信虎信濃国諏訪郡諏訪頼重村上義清連合軍が信濃佐久・小県郡侵攻を行う(海野平の戦い)。これにより、滋野氏嫡流の海野棟綱と共に、真田幸綱は本領を奪われ上野国へ亡命した。この当時の真田本城については史料が残されておらず、不明な点が多い。村上氏は真田本城の支城の一つである戸石城を小県郡支配の拠点として使っていた。

天文20年(1551年)に、武田晴信(信玄)の命を受けた幸綱は戸石城を奪取して、小県の本領を回復した。以来、幸綱・信綱昌幸の三代に渡って、真田本城およびその支城群が整備された。上田城に移るまで真田氏の本城であったと考えられている。

真田本城の支城群[編集]

  • 松尾城(松尾古城):鳥居峠吾妻上州)方面。鳥居峠を越えて岩櫃城沼田城と続く。
  • 洗馬城・根小屋城・横尾城:地蔵峠松代・北信濃)方面。洗馬城は真田氏最初の拠点。
  • 伊勢崎城・矢沢城:上田方面
  • 天白城・殿城山城:真田本城の後詰
  • 内小屋城:平地に建てられた2代目の拠点。後背地に横尾城があるため、実質的には館と考えられる。
  • 戸石城:実態は戸石城を中心とする山城群。村上氏時代に大幅に増改築された。

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]