相知蓮賀

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相知 蓮賀(おうち / あいち[1] れんが、? – 康永元年/興国3年(1342年[2])は、南北朝時代武将[1]。名は連[1]

経歴・人物[編集]

松浦党の一族で、肥前松浦郡相知を本拠地とした[1]相知城[2]

正慶2年/元弘3年(1333年)に後醍醐天皇方に付き、子の秀とともに鎮西探題赤橋英時を攻撃した[2][1]。その後、京都足利尊氏直義兄弟と戦いこれを敗ったが、西下して再挙を図っているうちに素志を達成できないまま、康永元年/興国3年(1342年)に逝去した[2]

大正4年(1915年)11月に従四位を追贈される[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『相知蓮賀』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e 唐津郷土先覚者顕彰会『郷土先覚者列伝』、2018年9月6日閲覧。