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相澤寿聡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
相澤 寿聡
現役時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県足利市
生年月日 (1987-12-14) 1987年12月14日(36歳)
身長
体重
180 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 高校生ドラフト4巡目
初出場 2010年5月22日
最終出場 2011年10月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導者歴
  • 太田市立高等学校

相澤 寿聡(あいざわ としあき、1987年12月14日 - )は、栃木県足利市出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

経歴

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栃木県足利市で、4人兄弟の3番目(兄・姉・妹)として生まれる。4歳の時に父親を亡くし、母子家庭で育つ。小学校1年から野球を始める。

中学校の時に左利きであることを生かし、投手に転向。初登板で無安打無得点の快投をした。高校進学時、数校の誘いの中から群馬県太田市立商業高校を選び、足利市の自宅から通学。朝5時半には家を出て、夜10時すぎに帰宅する毎日だった。

太田市商ではエースとして活躍し3年夏は決勝まで勝ち進むが前橋商業に敗退し甲子園出場はならなかった。同期に細谷圭がいる。

2005年高校生ドラフト4巡目で広島東洋カープから指名され、契約金2,000万円、年俸450万円(推定)で契約を結んだ。ドラフトの記者会見で指名されたことに感激の余り号泣し、トイ・ストーリーのエイリアンのタオルでしきりに涙を拭っていた。また、入団に当たっては「(広島)市民に愛される選手になりたい。」と抱負を語っている。

2008年は二軍で主に先発で防御率3.82とまずまずの成績を残した。

2009年は中継ぎでほぼ一年間投げぬいたが、内容がいま一つで一軍昇格はならなかった。

2010年5月22日の対福岡ソフトバンクホークス戦でプロ入り初登板初先発するも、3回途中6失点で降板となり、プロの洗礼を浴びる結果となった[1]

2011年シーズン終了後からサイドスローに転向した[2]

2012年10月3日、球団から戦力外通告を受け、打撃投手としての契約を打診され[3]2013年より打撃投手としてチームの裏方に転身した。2016年限りで退団した。

広島を退団後は太田市役所に就職し、軟式野球の強豪である野球部でプレーを続けている[4]。また、母校である太田市立高等学校でコーチを務めている[5]

選手としての特徴・人物

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投球フォームは元々はオーバースローだが、2011年シーズン終了後サイドスローへ転向した[2]

佐々岡真司からも「鍛えれば中継ぎで面白い存在になる」[6]と潜在能力を評価されていた。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2010 広島 3 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 21 3.1 10 1 2 0 0 3 0 0 7 6 16.20 3.60
2011 2 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 5 1.0 3 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0.00 4.00
通算:2年 5 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 26 4.1 13 1 3 0 0 3 0 0 7 6 12.46 3.69

記録

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背番号

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  • 65 (2006年 - 2012年)
  • 108 (2013年 - 2016年)

脚注

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  1. ^ 友岡真彦 (2010年5月22日). “初陣相沢 3回もたず”. 中国新聞. http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/2010/Cs201005220333.html 2011年4月15日閲覧。 
  2. ^ a b 横手の相沢、左キラーで1軍定着へ”. デイリースポーツonline. 2012年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月4日閲覧。
  3. ^ 【広島】末永、小松、永川弟らを戦力外”. nikkansports.com (2012年10月3日). 2012年10月5日閲覧。
  4. ^ 第76回全日本軟式野球・群馬 太田市役所(出場10回目)”. スポニチプラス. 2023年6月6日閲覧。
  5. ^ かつては甲子園も。群馬の21世紀枠推薦校に選出された実力校のスピード感ある練習に注目!vol.1”. 高校野球ドットコム (2022年12月6日). 2023年6月6日閲覧。
  6. ^ 『広島アスリートマガジン2007年11月号』による

関連項目

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外部リンク

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