相本和則

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相本 和則
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県
生年月日 (1949-04-22) 1949年4月22日(69歳)
身長
体重
175 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1972年 ドラフト3位
初出場 1973年
最終出場 1976年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

相本 和則(あいもと かずのり、1949年4月22日[1] - )は、福岡県出身の元プロ野球選手内野手)。

来歴・人物[編集]

三池工業高校では甲子園に出場できなかった。高校同期に猿渡寛茂がいる。

高校卒業後は、東海大学へ進学し首都大学リーグ加盟の同校の硬式野球部に在籍。リーグ戦通算77試合出場、276打数81安打、打率.293、9本塁打、36打点。ベストナイン3回受賞。在学中に首都大学リーグで6回優勝。1969年全日本大学野球選手権大会1970年明治神宮野球大会で優勝を飾る。大学同期にエースの川端理史(住友金属)がいた。

大学卒業後は、社会人野球キャタピラー三菱へ入社[1]

1972年プロ野球ドラフト会議東映フライヤーズから3位指名を受け入団、猿渡とチームメートになる。強肩の遊撃手として期待され、1年目の1973年から開幕一軍に抜擢される。しかし、序盤は先発出場を続けるが故障もあって失速。その後も故障に祟られ、1976年限りで現役を引退した。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1973 日拓
日本ハム
26 47 41 4 9 1 0 2 16 5 0 1 0 0 6 1 0 10 0 .220 .319 .390 .709
1974 11 26 25 2 7 0 0 0 7 1 0 0 1 0 0 0 0 2 0 .280 .280 .280 .560
1976 9 9 8 0 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 1 0 .125 .125 .125 .250
通算:3年 46 82 74 6 17 1 0 2 24 6 0 1 2 0 6 1 0 13 0 .230 .288 .324 .612
  • 日拓(日拓ホームフライヤーズ)は、1974年に日本ハム(日本ハムファイターズ)に球団名を変更

背番号[編集]

  • 36 (1973年)
  • 8 (1974年)
  • 40 (1975年 - 1976年)

脚注[編集]

  1. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、3ページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]