盛り塩

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盛り塩

盛り塩(もりしお、もりじお)とは、三角錐型あるいは円錐型に盛り、玄関先やの中に置く風習である。主に縁起担ぎ厄除け魔除けの意味を持つ。

岩塩などを盛り塩皿に盛り塩固め器などの器具を用いて三角錐や円錐に盛る。敷板が併せて用いられることもある。

日本の盛り塩の風習は奈良平安時代には既にあったとされる。

由来[編集]

中国説[編集]

中国故事に由来しているともされる。

この故事には二つあり、一つは今から1300年前の晋代に、武帝という皇帝が、後宮にいる女性を訪ねる際のこと。自分で選ぶことはできないから、今晩のしとねの宿を、羊車のにお任せするということにした。そこに、胡国出身の後宮に、胡貴嬪という女性が居り、羊の好きな竹の葉に塩水をかけ(挿竹灑塩)、自宅前に置き、武帝を招き寄せて寵愛を独り占めしたというものである。

この話は『晋書』の「胡貴嬪伝」(巻三十一列伝第一)に記載されているが、牛では無く、羊車の為に日本の盛り塩の風習の直接的な由来としては説得力が乏しいとされている[要出典]。猶、日本に羊が輸入されるのは明治時代以降である。

もう一つの故事は秦の始皇帝の話であり、話の大本は酷似している。始皇帝には沢山の女性があり、毎日訪ねる所を自分で選ぶのは大変なので、牛車に乗り、その牛が止まった所を晩の宿とすることにした。三千人の女性の中には賢い女性が居り、自宅の前に牛の好きな塩を置いた為に、牛車が止まり、その女性は皇帝から寵愛を受けた、という筋書きになっている。この話の典拠は不明である。この話では羊車では無く牛車となっているが、始皇帝在位期間が紀元前246年 - 210年の折には、日本は日本書紀の記載からして、第七代孝霊天皇から第八代孝元天皇の始めの頃のことであるから、まだ国家社会や文化としても素朴であった日本に盛り塩の風習が伝わり、広まったとは考えにくく、又日本における漢字伝来が405年の王仁(わに)の来日、513年の五経博士の来日からとされている為、700年以上前の異国の逸話が日本に伝わり、広まったというのは、可能性としては低いのではないかと学者間では見られている。

日本由来[編集]

これとは別に盛り塩の由来は神事葬送儀礼から来たのではないかとする見方がある。葬送儀礼では葬式後に塩を撒く風習があり、又神道の方では神棚に盛り塩を供えると言った風習がある為である。これは塩が清浄生命力の更新といった意味合いがあるからである。日本では『古事記』に海水で禊ぎ祓いをした記載があり、これを潮垢離(しおごり)と言う。

以下、盛り塩の意義を大きく二つに分けると、

  • 人寄せの為の縁起担ぎとしての盛り塩
  • 神事・葬送儀礼としてのお清めの塩。又神に捧げる神聖な供え物としての塩

となる。正確な由来は茫漠としており判明としないが、日本においては神事・仏事としての盛り塩から一般に広まった方が穏当と見られ、中国の故事由来説は話の面白さの為に広まったのであろうと学者間で考えられている。唯、神事・仏事のどちらが根本的な由来かは分からず、後代になる程、両者における意味合いが相交渉し、融合する為に、明確には区別ができづらい。

参考文献[編集]