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皿井立三郎

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皿井 立三郎(さらい たつさぶろう、明治3年10月11日1870年11月4日[1] - 昭和20年(1945年12月18日)は日本医師俳人大阪府士族[2]。元皿井耳鼻咽喉科医院長。

妻・清江は本田親雄男爵の三女。五男五郎の妻昭子は女優司葉子の姉。長女慶子は旧伯太藩主家の渡辺英綱子爵に嫁いだ[2]

経歴

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岡山県士族・武市文太郎の二男[2]。皿井安太郎の養子となる[2]明治20年(1887年家督を相続する[2]

明治28年(1895年)、岡山医専卒業[2]。同校講師[2]独逸に留学しロストック大学に学び帰朝、耳鼻咽喉科医師となる[2]

趣味は俳句[2]。俳人としても活動。

参考文献

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  • 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)サ一〇九頁
  • 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上サ一八九

脚注

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  1. ^ 『人事興信録 5版』(人事興信所、1918年)さ87頁
  2. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上サ一八九