皇至道

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皇 至道(すめらぎ しどう、1899年(明治32年)6月19日 - 1988年(昭和63年)9月27日)は滋賀県出身の教育学者。長年にわたり、多くの教育者、教育学者を育成した。1973年(昭和48年)に勲二等瑞宝章を受章。

テレビ朝日プロデューサー皇達也は長男。弟に、東北大学名誉教授、のち玉川大学文学部長を務めた皇晃之(名は、きらゆき。1908年 - 2004年)がいる。こちらも専門は教育行財政学。

来歴・人物[編集]

滋賀県愛知郡湖東町(現・東近江市)出身。広島高等師範学校広島文理科大学卒業。専門は教育行財政学。広島高等師範学校講師、広島文理科大学教授、広島大学教育学部教授、同教育学部長(連続5期)を経て、1963年(昭和38年)、森戸辰男の後を継ぎ、第2代学長に就任した。行政経験豊かで、大学研究の第一人者でもあった皇は、大学整備計画を推進し、歯学部等の設置を行なったが、1966年に不正入試事件(入試問題漏洩事件)が発生し事務官3人が懲戒免職される事態になると、皇は道義的責任をとって同年6月に任期途中で辞任した[1]。また文部省の教育職員養成審議会委員、学術奨励審議会委員を歴任するとともに日本教育学会理事、教育史学会理事、中国四国教育学会会長、日本教育行政学会理事および代表理事などを務めた。

古代中世近世の大学や、イギリスドイツアメリカ日本教育行政学を研究、独自の理論体系を作った。[要出典]「皇至道著作集」(全五巻)などの著書がある。1988年(昭和63年)死去、享年90(満89歳没)。 

年譜[編集]

  • 滋賀県愛知郡湖東町(現・東近江市)に、父順諒、母高千代の長男として出生
  • 1914年(大正3年)4月滋賀県師範学校本科第一部入学
  • 1920年(大正9年)
    • 3月滋賀県師範学校卒業(この間病気療養のため、1ヵ年休学)(21歳)
    • 3月31日、滋賀県犬上郡東甲良尋常高等小学校訓導
  • 1921年(大正10年)4月、広島高等師範学校第二部(英語科)入学(22歳)
  • 1925年(大正14年)
    • 3月7日、広島高等師範学校卒業
    • 3月31日、兵庫県姫路師範学校教諭兼訓導
  • 1929年(昭和4年)4月22日、広島文理科大学(教育学専攻)入学(30歳)
  • 1932年(昭和7年)
    • 3月7日、広島文理科大学卒業、卒業論文「ソクラテスとプラトンの教育的関係」
    • 3月31日、広島文理科大学(教育学科)助手
  • 1934年(昭和9年)3月31日、広島文理科大学講師(35歳)
  • 1935年(昭和10年)3月31日、広島高等師範学校講師を兼職(1938年4月8日解任)(36歳)
  • 1938年(昭和13年)2月9日、広島文理科大学助教授(39歳)
  • 1944年(昭和19年)11月20日、広島高等師範学校および広島臨時教員養成所講師を兼職(45歳)
  • 1948年(昭和23年)
    • 2月1日、広島文理科大学教育学教室主任(49歳)
    • 2月20日、広島文理科大学教授
    • 8月1日、広島文理科大学より文学博士の学位取得。学位論文「大学制度の研究」、副論文「シュタインの教育行政学」
  • 1951年(昭和26年)1月31日、広島大学教育学部教授を兼職(52歳)
  • 1953年(昭和28年)
    • 4月1日、広島大学教授に配置換、広島文理科大学教授併任(54歳)
    • 6月1日、広島大学教育学部長、広島大学大学院教育学研究科長。
  • 1957年(昭和32年)10月22日、ビルマ政府の招聘により教育顧問として同国へ出張(1958年1月まで)
  • 1958年(昭和33年)11月10日、文部省視学委員
  • 1963年(昭和38年)4月1日、広島大学学長(64歳)
  • 1964年(昭和39年)
    • 3月16日、学術奨励審議会委員(65歳)
    • 8月18日、イギリス国政府の招聘により同国へ出張(9月23日まで)
  • 1966年(昭和41年)
    • 6月1日、広島大学学長を辞職(67歳)
    • 9月13日、広島大学名誉教授の称号を受ける
    • 12月7日、青少年育成広島県民会議会長
  • 1967年(昭和42年)10月12日、広島県後期中等教育検討委員会委員長(68歳)
  • 1970年(昭和45年)7月18日、広島県医療機関整備審議会会長
  • 1973年(昭和48年)4月29日、勲二等瑞宝章を受章(74歳)
  • 1977年(昭和52年)
    • 4月21日、広島県コミュニティづくり推進協議会会長(78歳)
    • 5月26日、広島県教育問題懇談会座長
  • 1988年(昭和63年)9月27日、脳梗塞のため死去(89歳)[2]

学会での役職[編集]

  • 日本教育学会理事 (1947.9)
  • 日本教育学会中国四国支部会長(1949.10)
  • 教育史学会理事(1956.5.3)
  • 日本教育学会中国四国支部会長(1958.10)
  • 日本教育行政学会
    • 代表委員(1962.5)
    • 代表理事 (第1期~第2期 1967~71年)
    • 理事 (第3期~第8期 1971~88年)

著書[編集]

  • 『国民教育体制の構想』柳原書店 1942
  • 『獨逸教育制度史』柳原書店 1943
  • 『西洋教育史』柳原書店 1952
  • 『市町村教育委員会の実態』明治図書 1953
  • 『現代教師の性格』光風出版 1954
  • 『シュタイン』牧書店 1957 
  • 『西洋教育通史』(玉川大学出版部 1962)
  • 『寮生活の教育的意義』日生学園高等学校 1966
  • 『個性の本質と個別学習』日生学園高等学校 1967
  • 『現代教育学―幸福への道しるべ』明治図書 1968
  • 『明日を創造する人間形成論』日生学園高等学校 1968
  • 『人間関係の危機における教育』日生学園高等学校 1969
  • 『日本教育制度の性格』玉川大学出版部 1970
  • 『大学の歴史と改革』講談社 1970
  • 『教育行政学原論』第一法規 1974
  • 『人類の教師と国民の教師』玉川大学出版部 1975
  • 『徳は教えられるか』(お茶の水書房 1976)
  • 皇至道著作集』全5巻 皇至道著作集刊行会編 第一法規 1977
  • 『現代教育学』明治図書出版 1990 

脚注[編集]

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  1. ^ 広島大学文書館 『広島大学の五十年』 2013年、p.134。
  2. ^ 朝日新聞 1988年9月28日

参考文献[編集]

  • 『皇至道著作集』全5巻 皇至道著作集刊行会編 第一法規 1977

関連項目[編集]