白貞基

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白 貞基
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日本の地下新聞・自由聯合新聞[1]の記事(1934年刊)
生誕 (1896-01-19) 1896年1月19日
Flag of Korea (1882-1910).svg 大朝鮮国 全羅北道井邑
現況 獄死
死没 (1936-05-22) 1936年5月22日(40歳没)
大日本帝国の旗 大日本帝国 熊本県熊本刑務所
別名 鴎波
罪名 反乱罪
刑罰 無期懲役
有罪判決 1933年11月
白貞基
各種表記
ハングル 백정기
漢字 白貞基
発音: ペク・チョンギ
ローマ字 Paek Chung-Gee
M-R式: Baek Jeong-Gi
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三義士の一人として韓国で顕彰される白貞基の墓(右端「義士白貞基之墓」と漢字で銘が刻まれている。孝昌公園(韓国語))

白 貞基日本語読み;はく ていき、朝鮮語読み;ペク・チョンギ、1896年1月19日 - 1936年5月22日)は、朝鮮人無政府主義者で、朝鮮独立運動に参加して各地でテロ活動を続けたテロリストの1人。1933年、3名と共に有吉公使暗殺事件(六三亭事件[2])を起こして失敗し、逮捕されて無期懲役を宣告され、服役中に獄死した。は鴎波(クパ、구파)。

経歴[編集]

全羅北道井邑の貧しい農家で出生。勤勉で漢学などを習得し、19歳の時に京城に出た。1919年に発生した三・一独立運動を目撃し、その時配られた独立宣言文のビラを持って帰郷して抗日運動に参加した。

日本に対するテロリズムを計画し、同志らとソウル・仁川間の日本軍施設を破壊しようとしたが、計画が事前に発覚したために、満州奉天に亡命した。

翌年にはソウルに潜入し運動資金調達をしていたが、1920年に警察に検挙された。しかし本籍地と経歴を詐称して鉱夫であると偽り、釈放されると、今度は北京に亡命した。

1924年には昭和天皇の暗殺を狙って東京に潜入。その一環として早川水力発電所の建設現場を破壊するテロを計画したが失敗し、北京に帰還した。1925年上海に行き、無政府主義者連盟に朝鮮代表として出席し、中国農民運動に参加した。

1932年には自由革命家連盟を組織し、これをB.T.P(黒色恐怖団)と改称し、日本領事館や兵営などに爆弾を投げるなどの抗日テロを実行していた。

1933年、鄭華岩らと共に上海解放連盟を結成。3月17日、白は元心昌[3]と李康勲[4]の3人で駐中公使有吉明暗殺するため、上海の六三亭という日本料理店に要人100名が招かれた宴会を狙って、虹口公園(現在の魯迅公園)で爆弾や拳銃を隠し持って公使が出てくるのを待ち伏せしていたが、事前に仲間(民族主義者の1人)が密告していて失敗。逆に日本兵に逮捕された。

その後、日本本土に送還されて反乱罪で起訴され、11月に長崎裁判所で白と元は無期懲役、李は懲役15年の刑を宣告された。白は熊本刑務所に移されたが、そこで服役中の1936年に獄死した。元と李は別々の刑務所で1945年まで12年間服役して、8月15日の終戦の後に釈放された。

評価[編集]

テロ闘争や事件には複数の同志が関わったが、韓国では獄死した白貞基だけが独立運動家の1人として義士と顕彰されており、白を顕彰する旧派白貞基意思記念館があって、墓地は金九らと同様に孝昌公園にある。ただし朝鮮半島の南北分断後は、無政府主義運動が左派の活動であったので、他の独立活動家に比べて注目されてこなかった。

脚注[編集]

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  1. ^ 赤旗と比して「黒旗」(=アナーキストの色)と呼ばれたが、共に当時は非合法新聞で一般には流通していない。
  2. ^ 六三亭は標的となった日本料理店の店名。韓国などでは六三亭事件や六三亭義挙とも言う。
  3. ^ 在日本大韓民国民団の初代事務総長。1973年没。
  4. ^ 同じく民団の初代副団長。2003年、ソウルで100歳で没した。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]