白和町

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白和町
地図中の水色の区域が白和町の区域である国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
地図中の水色の区域が白和町の区域である国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
白和町の位置(鹿児島県内)
白和町
白和町
北緯31度49分6.8秒 東経130度18分33.3秒 / 北緯31.818556度 東経130.309250度 / 31.818556; 130.309250
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 薩摩川内市
地域 川内地域
人口
2011年4月1日現在)
 • 合計 251人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
895-0022

白和町(しらわちょう)は、鹿児島県薩摩川内市町名[1]。旧薩摩郡川内町大字平佐の一部、川内市白和町。白和町の全域で住居表示を実施している[2]郵便番号は895-0022。人口は135人、世帯数は68世帯(2011年4月1日現在)[3]

白和という地名は1947年昭和22年)まで現在の白和町の区域にあった白羽火雷神社に由来している[4][5]

地理[編集]

薩摩川内市の本土側の西部、川内川の下流域に位置している。薩摩川内市街地の西部にある。字域の北方には大小路町、南方から東方にかけて横馬場町、西方には向田本町にそれぞれ接している。

字域を鹿児島県道394号山崎川内線が東西に通っている。江戸期には浦町として栄え、「平佐由緒記」には唐人も多く在住していたと記されている[4]。また、現在の向田の商店街は白和町から西方に延び形成されたものであるとされている[4]

歴史[編集]

前史[編集]

古くは白羽、白波と書かれ、鎌倉期より見える地名で、薩摩国薩摩郡のうちであった。文永元年の沙弥見仏から子息三郎大蔵種忠への譲状に見えるのが初見であると考えられている。慶長2年ごろには浦町として町場が形成されていたとの記述が「高麗道記」に見えている[6]

戦国期から江戸期にかけては平佐村の一部となっており、この一帯が「唐人町」と呼称されていたが明治10年代に平佐村から分立し、白和町が成立した。しかし町村制が施行された1889年明治22年)に白和町は再び平佐(江戸期の平佐村)の一部となり、平佐村大字平佐の一部となった[6]

その後平佐村は1929年昭和4年)に隈之城村及び東水引村と合併し、川内町となっている。

分割実施以後[編集]

1940年昭和15年)に川内町が市制施行し川内市となった。それに伴い川内町大字平佐の一部から分割され、川内市の大字「白和町」が設置された。また1965年昭和40年)に一部から横馬場町が設置され[6]、平佐町の一部を編入し川内市の町名となった[1]2004年(平成16年)には川内市等が新設合併し薩摩川内市の大字となった。

字域の変遷[編集]

分割実施後 分割実施年 分割実施後
川内市白和町 1940年昭和15年) 川内町大字平佐の一部
横馬場町 1965年昭和40年) 白和町の一部
白和町 白和町の残部及び平佐町の一部

施設[編集]

川内向田郵便局
公共
  • 向田排水機場
郵便局
  • 川内向田郵便局
寺社
  • 真光寺

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[7]

大字 番地 小学校 中学校
白和町 全域 薩摩川内市立平佐西小学校 薩摩川内市立川内中央中学校

交通[編集]

県道394号山崎川内線

鉄道[編集]

字域内には鉄道は通っていない。最寄りの駅は川内駅である。

道路[編集]

県道

脚注[編集]

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  1. ^ a b 昭和40年鹿児島県告示第323号(字の区域の変更、鹿児島県公報第5304号昭和40年3月31日付所収)
  2. ^ 住居表示 - 薩摩川内市 2011年10月19日閲覧
  3. ^ 統計データ(住民基本台帳人口) - 薩摩川内市公式ウェブサイト 2011年10月19日閲覧。
  4. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.761
  5. ^ 白羽火雷神社 - 鹿児島県神社庁 2011年10月19日閲覧。
  6. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』 角川書店 p.358
  7. ^ 薩摩川内市 義務教育”. 薩摩川内市役所. 2011年10月19日閲覧。

座標: 北緯31度49分26.2秒 東経130度17分55.7秒