白井久井
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白井 久井(しらい ひさい、嘉永2年7月8日(1849年8月25日) - 大正元年(1912年)9月10日)は、婦人運動家、庄内婦人会会長。出羽国庄内(現在の山形県鶴岡市)出身。
人物・来歴
[編集]庄内藩家老の酒井了明の娘として生れる。兄に酒井了恒、酒井調良。弟に黒崎研堂[1]。
1870年、夫の白井重垂が死去。朝暘学校裁縫教師となり[2]、1888年に庄内婦人会を設立。代表幹事に就いた。
1897年、鶴岡高等女学校(現:山形県立鶴岡北高等学校)の開校にあたって教員として迎えられる。
1902年、庄内婦人会会長に就任。1906年5月には布施豊世(加藤精三の叔母)の提唱で、庄内婦人会立鶴岡幼稚園を設立した[1]。同園は、1910年に鶴岡の豪商・風間氏からの援助によって、私立荘内婦人会幼稚園(現:鶴岡幼稚園)となる[2]。
1912年9月10日、死去。享年63。鶴岡の総穏寺に埋葬される[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 庄内人名辞典刊行会編『新編庄内人名辞典』 庄内人名辞典刊行会、1986年。