痴漢冤罪

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痴漢冤罪(ちかんえんざい)とは、痴漢をしていない者が、痴漢行為者として疑いをかけられる冤罪の一種である。また、それによって警察司法機関から不当な処遇・処分を受けたり、社会的制裁を受けたりすることを含む場合がある。

概要[編集]

近年では社会的に、痴漢犯罪を撲滅しようという動きが高まり、1999年以降痴漢の送検件数が急増した。一方で、痴漢犯罪の取締り強化に伴い、痴漢行為をしていない者が告発され、無実の罪を着せられる冤罪事件も発生するようになった。この問題は、多くの男性が冤罪被害に遭う可能性のある事件として、1990年代末からマスメディアなどで社会問題として頻繁に取り上げられるようになった[1]これは痴漢被害者のほとんどが女性のためだが、痴漢被害者は男女を問わない[2]ため、女性が冤罪被害に遭う可能性もある。

典型的には、鉄道バスなどの公共交通機関の車内で、痴漢被害に遭った女性またはそう主張する女性が、近傍に居合わせた無関係な男性犯罪者として告発するような事件を指す。例えば女性の後に男性が2人並んで立っていて、一方が女性に対し触れるなどの痴漢行為をした場合に、女性がもう一方の無関係な男性の手を誤って掴んでしまい、その男性が疑われるというケースなどが考えられる。

痴漢冤罪が発生しやすい背景の1つは、満員電車内での痴漢行為が誤認を起こしやすい状況下の犯罪だということである。実際に痴漢に遭った場合でも、混雑からその実行者を誤認し、無関係な人間を訴えてしまう危険がある。また、痴漢犯罪は客観的な物的証拠が残りにくく、痴漢被害者の証言に頼りがちであることも挙げられる。

痴漢冤罪の発生を防ぐためにも、加害者とされている人物が本当に加害者であるかどうかについては、慎重な精査が求められる。また逆に、物的証拠が残り難いという痴漢犯罪の性質上、加害者ではないと主張する人物が本当に加害者ではないのかについても、慎重な精査が求められる。

なお、1997年10月に痴漢で逮捕され、冤罪を争って名前と顔を公開してメディアで何度も採り上げられた男性が、痴漢に関して最高裁で2002年9月に有罪判決が確定し[3]、なおも判決の不当を訴えて活動していたが、2003年7月に盗撮容疑で逮捕される事件もあった[4]

問題点[編集]

冤罪被害によくあるもの[編集]

社会復帰の困難性
痴漢冤罪事件の無罪判決が確定してもなお、社会的信頼を失い、誣告者に対する損害賠償請求民事訴訟を起こしても敗訴する場合がほとんどであり、勝訴しても精神的苦痛による慰謝料が通るかどうかの程度である。早期に冤罪が確定しても「痴漢と疑われる人」など、社会的地位/信頼性、私生活などを失いかねない被害を受ける[5]。また、逮捕時のトラウマから、冤罪被害を恐れて公共交通機関を利用できなくなるなどの心理的打撃も発生することがある[5]。これらの問題は逮捕された時点であたかも犯罪者であるかのように扱う報道機関の影響も考えられる。一例として、痴漢の容疑で実名報道されたJR西日本の重役が自殺している[注釈 1][6]。一方で、加害者ではない者を告発した者は、勘違い等で済まされることが多く、社会的や私生活に受ける被害は小さい。
長期勾留
痴漢行為の冤罪を主張し否認を続けた場合、警察・検察により数ヵ月から1年以上長期間にわたって勾留され[注釈 2]、容疑を認めるまで解放されない。そのため容疑者としての勾留であっても周囲には勾留=逮捕=有罪確定と誤認される可能性がある。最終的に冤罪であると認められた場合でも、裁判の判決まで1年から数年を要する。それを怖れ、痴漢をした事実がなくても、警察からの早期解放を目的に罪を認める場合がある。この場合、前科がつき数万から数十万円の罰金を支払うことになるが、前科は一定期間すれば記録には残らない。また、再犯を犯さない限り犯罪の事実は社会に公表されることはない。これに対し、冤罪だと主張した場合は、実名報道されるケースが多い。この不利益により、冤罪被害者本人に限らず、家族が重い鬱病になった事例や、離婚に追い込まれた事例もある。痴漢冤罪の被害者が家計を主に支える人間である場合、世帯の収入が激減することも大きな問題である。(代用監獄も参照)
虚偽申告
警察庁長官は、記者会見で「極めて少数だが、痴漢被害を偽装する女性が存在する」と認めている[7]。中には男性に多額の示談金を要求するケースもあり、痴漢告発の常習者であった事案もある[8][9]
検挙のための検挙
痴漢被害者が、痴漢加害者が誰か正確に認識できず、告訴をためらっていた場合でも『警察が責任を持つ』『後戻りはできない』と、警察官が被害者に告訴を強要する場合もある[10]。判決の理由として「原告の(被害体験)供述は臨場感がある」といった判決理由も多い。警察・検察が、容疑者に有利な証拠を出さない場合もある。このように、取り締まる側が通報者に過度に協力的な態勢は、自らの業務意義を間違った形で肯定するための手段に陥りがちである。
裁判費用
弁護士費用などがかかる。

痴漢冤罪に顕著なもの[編集]

誤認による冤罪
混雑している車両で起こるため、痴漢自体はあったとしても、加害者として無関係の乗客を間違えて訴えてしまうことがある。
推定無罪の原則
本来、刑事裁判における犯罪の証明には、捜査機関が「被告人が犯罪をした証拠」を提出する必要がある。しかし、痴漢の場合は物的証拠がほとんど残らないという犯罪の性質上、被害を受けた者の「この人が痴漢をした」との証言(犯人識別供述)と被疑者の自白程度しか証拠がないことが多く、その証言ないし自白が信用されるものと認定されれば、具体的な物証がなくとも実際に犯罪をなしたと見なされる傾向にある。日本は他の近代法治国家と同様に推定無罪の原則を採っているが、痴漢を含む性犯罪に関しては、容疑者がいわゆる「悪魔の証明」をしない限りは被害者の訴えのみで有罪が確定するケースが大半である。
しかしながら、痴漢など性犯罪に限らず、被害者の証言とそれに伴う状況証拠の検証のみで有罪が確定することは一般的である。例えば「Aさんに殴られた」という軽微な暴行事件についても被害者の訴え以外に証拠を集めることは困難であり、被害者の証言をもとに検証するしかない。そのため、司法の問題点を指摘する意見や、治安を守る上での限界という意見もある。
悪魔の証明
上記のように推定無罪の原則が適用されにくいため、痴漢冤罪を防ぐには、被告人が「痴漢をしていない証拠」を示し、100%揃える必要がある。これは悪魔の証明と呼ばれるものであり、痴漢をしていないことを証明することは極めて困難である。このような構造になった原因として、もともと日本では軽微な性犯罪であると見なされていた痴漢に対する制裁が軽く、弱い立場の被害者が泣き寝入りすることも多かったため、これを是正するために警察や裁判所が被害者を守ることに重点を置いた対応をするようになったことを挙げる意見がある[要出典]
実際、起訴されれば無罪になる確率が0.02%であり、1審で有罪になると、新証拠が出されないと無罪になりにくい[11]。ただし、一般に起訴後の無罪率は0.03%であり、痴漢犯罪において顕著に無罪率が低いということはない。また、起訴されたうちの何割が実際に無罪であったかは不明であるため、「冤罪率=無罪の人が有罪になる確率」は不明である[注釈 3]
現行犯逮捕への不理解
痴漢容疑者が、既に私人逮捕されていることに気づかず駅事務所について行ってしまった場合、現行犯逮捕に同意した(自身の氏名や居住地・身分を明らかにせず容疑を認めた)とみなされるため、容疑者自身の立場を法律的に悪くしている[12]
なお、痴漢を目撃した場合、あるいは被害者が痴漢の事実を訴えている場合には、周囲にいる人には、被疑者が身分を明らかにせず、かつ逃亡の恐れがあると認められるときに限り、被疑者の身柄を現行犯逮捕することができる。ただし、目撃者が被害者一人だけの場合、違法逮捕になる恐れもあり、十分な状況の把握が必要になる。

痴漢冤罪をめぐる変化[編集]

司法の変化[編集]

痴漢の場合、物的証拠がほとんど残らないため、痴漢被害者の訴えが他の訴訟に比して重要視される傾向にあった。しかし、被害者の保護が行き過ぎると冤罪の訴えの多発を招く。そのため、痴漢冤罪に対する世論の高まりとともに、痴漢被害を主張する者の衣服の指紋の採取、容疑者の指に付着した衣服の繊維や被害者の体液や皮膚の組織などのDNA鑑定等、より先進的かつ客観的な物的証拠が求められるようになり、これらの物的証拠は、起訴段階もしくは審理において重要視されるようになりつつある[13]。ただし、列車が揺れた際に偶然手が触れたといったケースの場合、意図的ではなくても物的証拠が残ってしまう可能性もある。ただし、いまだに被害者本人と交際相手の証言のみでも有罪になる場合がほとんどであり、司法は痴漢冤罪に関して未だ厳しいのが現状である。

社会の変化[編集]

痴漢冤罪による無罪判決がマスコミなどで頻繁かつ大々的に取り上げられるようになった結果、企業・組織の側でも従業員が逮捕されても初犯に限り、即座に懲戒免職としない傾向が見られるようになった。失職する場合本人が留まりづらく自ら退職する場合が多かったが、近年では人格的に信用されている個人の場合、社員仲間が被疑者を支援し、その家族を支える事例も見られる。また、都市部においては痴漢冤罪対策として、男性を中心に自家用車通勤をする人も増えている。


痴漢冤罪に対する有識者の見解[編集]

ジャーナリストで現参議院議員の有田芳生は、金銭目的の「痴漢被害捏造犯」の存在に言及しており、また「痴漢冤罪に巻き込まれたくない」という理由で「家に帰るときは電車を使わず、なるべくタクシーで帰宅している」と本人のブログで発言している[14]

作家の阿川弘之は、自らが痴漢冤罪の被害に遭いかけたという経験から、「男性専用車両」の導入を提唱している。同様に、利用客の男性などからの「男性専用車両」を切望する声も少なくない[15]

同様に性平等主義者の女性、及び女性専用車両に乗らなかったせいで、周囲の男性から軽い暴力を受けた女性からの「男性専用車両」を切望する声も少なくない。

日本テレビ行列のできる法律相談所』では、2008年(平成20年)に、4名中2名の弁護士が、走って逃げるのが最善と回答し[16]、2016年(平成28年)には、4名中3名の弁護士が、現場から立ち去るべきと回答した[17]

元裁判官で、現在は弁護士である井上薫も、インタビューで「逃げてしまった方が一面では有効かも知れない」と述べている[18]

実際に起こった事件に関しては、鉄道関係者は「疑いをかけられた時点で、逮捕を逃れること不可能に近い」「走って逃げても取り押さえられたらお終い」とコメントしている[6]

痴漢冤罪事件を扱った作品[編集]

痴漢冤罪を主題としたものと、副次的に痴漢冤罪を扱っているもの。

主題とした作品[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

小説[編集]

  • 懲戒の部屋筒井康隆 1968年発表
    • 満員電車で痴漢に間違われたサラリーマンが手酷い懲罰を受けるストーリー。同作は短編集『アルファルファ作戦(早川書房より刊行。のち中公文庫)』に収録されていたが、2002年に同作を表題作とする短編集『懲戒の部屋 〜自薦ホラー傑作集1〜(新潮文庫)』に収録された[19]。なお、同作は1997年に劇団『BIG FACE』により舞台化されている[20]
  • 残り火小杉健治 2012年発表

実用書[編集]

  • 『痴漢に間違われたらこうなります!』 Satoki・著 弁護士 坂根真也・監修
    • 2014年現在、痴漢冤罪に巻き込まれた場合の刑事手続きを解説した本。法律書としても読めると同時に、現行法の中で痴漢冤罪の被害を最小限に食い止める方法も紹介している。

音楽・歌謡[編集]

  • おっとCHIKAN!』 歌:おニャン子クラブ
    • 1986年発売の歌謡曲。まじめそうな男子学生を痴漢に仕立て上げ、満員電車に乗っているストレスを解消しようという内容。作詞は男性の秋元康
  • 『痴漢電車』 角松敏生
    • 2000年発売のアルバム「存在の証明」に収録。痴漢冤罪をテーマにした歌詞。

エピソードの1つとして扱った作品[編集]

テレビドラマ[編集]

テレビ番組[編集]

漫画[編集]


脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ただし、このケースでは痴漢被害者が、被疑者の顔を覚えてしまうほど過去に同様の手口で複数回の被害があり、間違いはないと主張している[6]
  2. ^ 勾留されている間、行政から一切の就業補償はなされない。
  3. ^ 例えば、無罪率が0.02%であっても、そもそも起訴事件中で実際に無罪であるものが0.02%しかなく、これらが無罪判決となっているのであれば、冤罪率は0%である。

出典[編集]

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  1. ^ 【関連】『痴漢』逆転無罪 『決めつけ』捜査批判 3年の訴え実る 東京新聞 2009年4月17日時点でのアーカイブ。 2009年4月15日付朝刊。
  2. ^ 男性も痴漢から保護対象に この春、全都道府県で改正条例施行 - Spork!、2014年4月5日、2016年6月26日閲覧。
  3. ^ 最高裁判決平成14年9月26日最高裁判所裁判集刑事282号237頁
  4. ^ http://www.rikkyo.ne.jp/web/araki/chikanenzai/konkai-ben.htm
  5. ^ a b 無罪判決 「痴漢現行犯」に問われた男性 大阪府警が誤認逮捕 地裁支部「証拠不十分」 毎日新聞 2016年4月26日
  6. ^ a b c 「警察発表」だけで報じる新聞・テレビ「痴漢報道」——JR西日本の重役はなぜ死ななければならなかったのか 現代ビジネス(2016年3月31日閲覧)
  7. ^ 「痴漢事件捜査、多角的に検討」 無罪判決で警察庁長官 asahi.com 2009年4月19日時点でのアーカイブ。2009年4月16日付。
  8. ^ 夕刊フジ特捜班 痴漢冤罪の恐怖 2007年2月24日
  9. ^ 痴漢えん罪ネットワーク 2007年2月24日
  10. ^ 夕刊フジ特捜班 痴漢冤罪の恐怖
  11. ^ 奇跡体験!アンビリバボー 痴漢えん罪事件壮絶868日
  12. ^ 奇跡体験!アンビリバボー 痴漢えん罪事件壮絶868日
  13. ^ 平成21年6月25日付警察庁通達
  14. ^ “有田芳生の『酔醒漫録』: 周防正行監督の痴漢冤罪映画”. (2006年8月28日). http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2006/08/post_ce81.html 2014年9月11日閲覧。 
  15. ^ 東京新聞2007年5月12日朝刊
  16. ^ “行列の出来る法律相談所”. (2008年4月27日). http://www.ntv.co.jp/horitsu/20080427/1-a.html 2014年9月11日閲覧。 
  17. ^ “行列の出来る法律相談所”. (2016年3月20日). http://www.ntv.co.jp/horitsu/20160320/1-a.html 2016年3月21日閲覧。 
  18. ^ 電車の中で「痴漢です」! 叫ばれたらどうしたらいいのか 弁護士・井上薫さんに聞く J-CASTニュース 2009年2月1日
  19. ^ 初出:『小説現代』1968年6月号
  20. ^ 「筒井ワールド 4」 BIG FACE 1997年2月5日 - 11日 両国シアターX(カイ) 「座敷ぼっこ」「こぶ天才」「懲戒の部屋」「最高級有機質肥料」 脚本、演出:伊沢弘 監修:川和孝 出演:千田隼生 佐藤昇 吉宮君子 名倉右喬 津川友美 他[1]

参考文献[編集]

  • 秋山賢三、荒木伸怡、庭山英雄、生駒巖(共編著)『痴漢冤罪の弁護』現代人文社、2004年12月、ISBN 4877982337
  • 池上正樹『痴漢「冤罪裁判」 男にバンザイ通勤させる気か!』(小学館文庫)、小学館、2000年11月、ISBN 4094048014
  • 植草一秀事件を検証する会(編著)『植草事件の真実 ひとりの人生を抹殺しようとするこれだけの力』ナビ出版、2007年2月、ISBN 4931569161
  • 小澤実『左手の証明 記者が追いかけた痴漢冤罪事件868日の真実』ナナ・コーポレート・コミュニケーション、2007年6月、ISBN 4901491660
  • 小泉知樹『彼女は嘘をついている』文藝春秋、2006年12月、ISBN 4163687009
  • 周防正行 『それでもボクはやってない 日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり』 幻冬舎、2007年1月、ISBN 4344012739
  • 鈴木健夫 『ぼくは痴漢じゃない! 冤罪事件643日の記録』(新潮文庫)、新潮社、2004年6月、ISBN 4101012210
  • 痴漢えん罪被害者ネットワーク(編)『Stop!痴漢えん罪 13人の無実の叫び』現代人文社、2002年11月、ISBN 4877981136
  • 長崎事件弁護団(編)『なぜ痴漢えん罪は起こるのか 検証・長崎事件』現代人文社、2001年12月、ISBN 4877980725
  • 夏木栄司『でっちあげ 痴漢冤罪の発生メカニズム』角川書店、2000年11月、ISBN 404883648X
  • 前川優「推定有罪 すべてはここから始まった -ある痴漢えん罪事件の記録と記憶」(ブログ「週刊金曜日からのおしらせ」第19回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」優秀賞 2008年12月12日)
  • 矢田部孝司、矢田部あつ子(共著)『お父さんはやってない』太田出版、2006年12月、ISBN 4778310462

関連項目[編集]

外部リンク[編集]