由起しげ子
由起 しげ子 (ゆき しげこ) | |
|---|---|
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『アサヒグラフ』 1949年12月21日号より | |
| 生誕 |
新飼 志げ 1900年12月2日 大阪府泉北郡 (現:堺市) |
| 死没 |
1969年12月30日(69歳没) 東京都文京区 |
| 墓地 | 冨士霊園 |
| 職業 | 小説家 |
| 言語 | 日本語 |
| 国籍 |
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| 最終学歴 | 神戸女学院音楽部中退 |
| 活動期間 | 1946年 - 1969年 |
| ジャンル | 純文学、中間小説、児童文学 |
| 代表作 |
「本の話」 「女中ッ子」 |
| 主な受賞歴 |
第21回芥川賞(1949年) 第8回小説新潮賞(1961年) |
| デビュー作 | 「本の話」 |
| 配偶者 | 伊原宇三郎 |
| 子供 | 4人 |
由起 しげ子(ゆき しげこ、1900年〈明治33年〉12月2日 - 1969年〈昭和44年〉12月30日)は、日本の小説家。本名は伊原 志げ(通称:重子・しげ子)、旧姓は新飼(しんがい)。夫は洋画家の伊原宇三郎。長男は彫刻家の伊原通夫、次男は画家の伊原乙彰[1][2]。
山田耕筰に師事し、東京で本格的な作曲指導を受けたが、体調を崩して音楽家の道を断念した。結婚後、夫の洋行に伴って渡仏し、大正の終わりから3年間パリに滞在。第二次世界大戦後まもなく夫と別居し、創作童話などを書いて生計を立てた。この間に小説の執筆を始め、文壇デビュー作となった短篇小説「本の話」で、戦後初となる芥川賞を受賞した。映画・テレビドラマ化された「女中ッ子」で広く知られるようになり、以後、中間小説にも創作の幅を広げた。高度成長期を背景に、多様な女性を描いた作品が相次いで映像化されるなど、戦後の文壇で20年以上にわたり活躍した[3][4]。
生涯
[編集]生い立ちから帰国まで(1900年 - 1929年)
[編集]玄洋社の元社員であった父新飼為義(族籍は福岡藩士族[5])と母とみの次女として、大阪府泉北郡浜寺公園番外(現:堺市西区の一部)に生まれた[6]。10歳で実母と死別し、12歳で継母を迎えたあとは兄・姉・異母妹と共に育った[6]。高石尋常小学校、堺高等女学校を卒業後、私立プール女学校別科(英語)への編入を経て、1918年(大正7年)4月に神戸女学院音楽部に入学した[6]。在学中は、同学院を卒業した助教員や助教師らからピアノ・オルガン・歌唱を学んだ[7]。
学外では作曲家の山田耕筰に師事し、山田が演奏会などで来阪した際に、楽器店やホテルなどで自作曲の講評を受けた[8][注 1]。
1921年(大正10年)1月に神戸女学院を中退。上京後、毎週山田の自宅に通い、大中寅二と共に本格的な指導を受けるようになった[9]。しかし、それまでの直感的な作曲手法とは異なり、和声や対位法といった厳格な音楽理論の習得を課されるようになった。この指導法が自身の資質に沿わず、心身に疲労をきたした結果、腰椎カリエスの疑いと診断され(のちに誤診と判明)、以後3年にわたり関西での療養生活を余儀なくされた[10][11]。
1925年(大正14年)2月、東京で知り合った洋画家の伊原宇三郎と結婚。同年11月に農商務省の海外実業練習生として単身フランスへ渡った宇三郎を追い、翌1926年(大正15年)6月から3年間パリに滞在した。当地ではマルグリット・ロンに師事し、直接ピアノの指導を受けた。パリで長男の通夫を出産したのち、1929年(昭和4年)6月に帰国。以後、東京で4人の子供(三男一女)を育てた[6][12]。
夫との別居と作家デビュー(1945年 - )
[編集]
【前列左から】小山いと子、森田たま、林芙美子の母、美川きよ、川上喜久子、円地文子、大田洋子
【後列左から】宇野千代、大谷藤子、三宅艶子、城夏子、壺井栄、平林たい子、由起しげ子、村岡花子、横山美智子、佐多稲子、芝木好子、板垣直子、大原富枝、阿部光子、峯雪栄、森三千代
第二次世界大戦後の1945年(昭和20年)12月、年少の子供2人を引き取り、夫の伊原と別居した。生活費を得るため神近市子らの勧めで児童文学に携わるようになり、1946年12月に「伊原しげ子」の筆名で初めて作品が雑誌に掲載された[13][14]。以後、1948年までに約20篇の短編童話を創作した[15]。
かたわら、中央公論社の編集者・八木岡英治の支援を受けて小説の執筆を開始し、1949年(昭和24年)3月、雑誌『季刊作品』(第3号)に発表した文壇デビュー作「本の話」で第21回芥川龍之介賞を受賞した[16][17]。
1954年(昭和29年)に『小説新潮』(12月号)で発表した短篇「女中ッ子」が後年幾度となく映画化・テレビドラマ化され、代表作の1つとなった。その後は純文学にとどまらず、中間小説の分野にも執筆の幅を広げ、20年余りの作家活動で120篇を超える作品を残した[18]。高度経済成長期の暮らしを背景に、多様な女性の姿を描いた作品群は、1950年代半ばから相次いで映像化された。1961年(昭和36年)、「沢夫人の貞節」で第8回小説新潮賞を受賞した[16][19]。
1969年(昭和44年)12月30日、東京都文京区にて69歳で死去した[20]。葬儀では戸籍上の夫・伊原宇三郎が喪主を務めた[21]。墓所は冨士霊園[22]。
楽曲に関する記録
[編集]由起の自作曲については「みんな破いて捨てた」とされ、楽譜は現存していない。フランスから帰国し、山田耕筰の元へ挨拶に訪れた際、由起が作曲した『フリージャ』と『トマト畑』の2曲を山田の作品集に収録しないかとの誘いを受けた。しかし、譜面がすでに手元にないことや、山田による添削が多かった記憶などから、その後もたびたび催促を受けながら曖昧な態度に終始し、この話は実現に至らなかった[23]。
芥川賞受賞から4年後の1953年(昭和28年)、新潟県湯沢町立湯沢小学校(現:湯沢学園)の校歌の制作を依頼され承諾した[24]。仕事を仲介したのは恩人である編集者・八木岡英治で、作詞を室生犀星、作曲を由起が担当した[25][26]。同校の旧校歌は、統合された他の4校の旧校歌とともに、2014年(平成26年)に湯沢町の無形文化財に指定された[27]。
著書
[編集]単著
[編集]- 『本の話』(文藝春秋新社、1949年)
- 『春を告げる花』(時事通信社、1950年) - 童話集
- 『厄介な女』(時事通信社、1950年)
- 『警視総監の笑ひ・本の話』(角川書店〈角川文庫〉、1951年)
- 『コクリコ夫人』(早川書房、1952年)
- 『ルリ色の海』(同和春秋社〈昭和少年少女文学選集 7〉、1955年) - 挿絵:伊原通夫
- 『女中ッ子・この道の果に』(新潮社〈小説文庫〉、1955年)
- 『語らざる人』(大日本雄弁会講談社〈ミリオンブックス〉、1955年)
- 『若い火』(河出書房〈河出新書〉、1956年)
- 『夕すげ』(現代社、1956年)
- 『今日のいのち』(現代社、1956年)
- 『未知からの誘い』(現代社、1956年)
- 『生きる場所』(大日本雄弁会講談社〈ロマン・ブックス〉、1958年)
- 『ヒマワリさん』(講談社〈ロマン・ブックス〉、1958年)
- 『女ごころ』(文芸評論新社、1958年) - 装幀:伊原通夫
- 【収録作品】「試験別居」「雨の日の客」「奪えぬひと」「特号夫人」「女が生きるとき」「誕生日の贈物」「秘密」[28]
翻訳書
[編集]- ルイーザ・メイ・オルコット(原著者)『美しいポリー』(大日本雄弁会講談社〈世界名作全集 147〉、1956年)[29]
映像化作品
[編集]映画
[編集]- 『伊津子とその母』(1954年、東宝、監督:丸山誠治、出演:水谷八重子) - 原作:「母の社会科」
- 『女中ッ子』(1955年、日活、監督:田坂具隆、出演:左幸子)
- 『今日のいのち』(1957年、日活、監督:田坂具隆、出演:北原三枝、石原裕次郎)
- 『女ごころ』(1959年、東宝、監督:丸山誠治、出演:原節子、森雅之) - 原作:「試験別居」
- 『「赤坂の姉妹」より 夜の肌』(1960年、東宝、監督:川島雄三、出演:淡島千景) - 原作:「赤坂の姉妹」
- 『あの人はいま』(1963年、松竹、監督:大庭秀雄、出演:岩下志麻) - 原作:「罪と愛」[30](松竹などの映画データベースでは、原作を「罰と愛より」〈ママ〉と記載)
- 『明日は咲こう花咲こう』(1965年、日活、監督:江崎実生、出演:吉永小百合) - 原作:「ヒマワリさん」
- 『どんぐりッ子』(1976年、東宝、監督:西河克己、出演:森昌子) - 原作:「女中ッ子」
このほか、原作以外の形式で関わった映画作品としては、1957年公開の『黄色いからす』(五所平之助監督、台詞協力)、同年公開の『挽歌』(五所平之助監督、八住利雄と共同脚色)がある。
テレビドラマ
[編集]- 『母の園』(1955年10月26日、NHK、出演:中畑道子)
- 『手袋』(放送日不明、日本テレビ、出演:野添ひとみ)
- 『母の社会科』(1959年6月5日、ラジオ東京テレビ〈サンヨーテレビ劇場〉、出演:木村功、細川ちか子)
- 『伊都子の結婚』(1959年9月12日、NET〈劇〉、出演:丹阿弥谷津子)
- 『未知からの誘い』(1960年4月5日 - 4月12日、フジテレビ〈サンウエーブ火曜劇場〉、出演:高田敏江)
- 『警視総監の笑い』(1960年4月10日、フジテレビ〈百万人の劇場〉、出演:佐分利信)
- 『契約結婚』(1960年4月15日、ラジオ東京テレビ〈サンヨーテレビ劇場〉、出演:若原雅夫)
- 『今日は留守です』(1960年12月17日、TBS〈グリーン劇場〉、出演:轟夕起子)
- 『女中っ子』(1961年2月1日、TBS〈日立劇場〉、出演:山崎左度子)
- 『会わぬ人』(1961年2月19日、日本テレビ〈東レ サンデーステージ〉、出演:原保美)
- 『女の中の悪魔』(1961年4月29日 - 5月13日、フジテレビ、出演:左幸子)
- 『生きる場所』(1961年6月28日、朝日放送〈女の劇場〉、出演:河内桃子)
- 『一年の間に』(1961年11月2日、日本テレビ、出演:水戸光子)
- 『伊津子とその母』(1961年12月12日、フジテレビ〈シャープ火曜劇場〉、出演:水戸光子、野口ふみえ)
- 『女の中の悪魔』(1961年12月27日、朝日放送〈女の劇場〉、出演:北村和夫、岩崎加根子)
- 『この道の果てに』(1962年1月12日、NHK〈文芸劇場〉、出演:成瀬昌彦)
- 『契約結婚』(1962年1月14日、NET〈ガス グランド劇場〉、出演:二本柳寛、石田昭子)
- 『女中っ子』(1962年2月20日、フジテレビ〈シャープ火曜劇場〉、出演:川口知子)
- 『破壊された男』(1963年6月23日、中部日本放送〈東芝日曜劇場〉、出演:若原雅夫)
- 『秘密』(1963年10月11日、NHK〈文芸劇場〉、出演:里見京子)
- 『女中っ子』(1963年11月17日、NET〈日本映画名作ドラマ〉、出演:田上和枝)
- 『女の画像』(1963年12月2日 - 12月9日、NET〈ポーラ名作劇場〉、出演:中川弘子)
- 『伊都子の結婚』(1964年5月10日、NET〈日本映画名作ドラマ〉、出演:小林千登勢)
- 『妻の休暇』(1964年6月25日、日本テレビ〈30分劇場〉、出演:安井昌二、原知佐子)
- 『真夜中の顔』(1964年8月2日、NET〈日本映画名作ドラマ〉、出演:月丘夢路)
- 『愛のかけら』(1964年11月1日、NET〈明星女性劇場〉、出演:千代侑子、根上淳)
- 『誰にもわからない』(1966年5月1日、TBS〈東芝日曜劇場〉、出演:佐久間良子) - 原作:「赤坂の姉妹」
- 『もう一つの生活』(1966年6月19日、TBS〈東芝日曜劇場〉、出演:山形勲、松尾嘉代)
- 『父と子』(1966年7月1日、朝日放送〈近鉄金曜劇場〉、出演:伊藤雄之助、頭師佳孝) - 原作:「破壊された男」
- 『ゆうだち:雨をもつ季節』(1966年8月14日、TBS〈東芝日曜劇場〉、出演:渡辺美佐子)
- 『ひまわりさん』(1967年6月17日、NHK〈NHK土曜劇場〉、出演:林美智子) - 原作:「ヒマワリさん」
- 『女の虹』(1967年7月16日、中部日本放送〈東芝日曜劇場〉、出演:淡島千景) - 原作:「おんなの骨」
- 『女の中の悪魔』(1967年11月2日 - 11月23日、NET〈ナショナルゴールデン劇場〉、出演:平幹二朗、小川眞由美)
- 『女中ッ子』(1968年5月5日、TBS〈東芝日曜劇場〉、出演:樫山文枝)
- 『今日のいのち』(1969年6月23日 - 7月4日、NHK〈銀河ドラマ〉、出演:片山真由美、高橋長英)
- 『はつさんハーイ!』(1973年1月6日 - 1月27日、NHK総合〈少年ドラマシリーズ〉、出演:四方正美) - 原作:「女中ッ子」
- 『女の中の悪魔』(1982年7月17日、TBS〈ザ・サスペンス〉、出演:烏丸せつ子、伊丹十三) - 第20回ギャラクシー賞(1982年度)受賞作品[31]
- 『女の中の悪魔』(1987年9月21日、関西テレビ〈女優競演サスペンス〉、出演:中井貴恵)
また、1964年11月12日にTBS系列で放送された『おかあさん(第2期)』第262話「小さい犬のいる家」(出演:長岡輝子)では、主な脚本の制作に関わった。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ↑ “伊原乙彰 Otoaki Ihara プロフィール・略歴”. 夏目書房. 2026年6月14日閲覧。
- ↑ “伊原乙彰展 IHARA Otoaki”. Art Commons : Exhibitions Search in Japan. 国立新美術館 (2025年4月8日). 2026年6月14日閲覧。
- ↑ 清水 2016, pp. 74–79.
- ↑ 中地 1998, pp. 454–456.
- ↑ 人事興信所編『人事興信録』人事興信所、1918年、と六。
- 1 2 3 4 中地 1998, p. 457.
- ↑ 津上 2017, pp. 69–71.
- ↑ 津上 2017, p. 77.
- ↑ 津上 2017, pp. 78–79.
- ↑ 清水 2016, pp. 75–76.
- ↑ 中地 1998, pp. 454, 457.
- ↑ 清水 2016, p. 76.
- ↑ 藏中 2017, p. 18.
- ↑ “少国民の友 第23巻第9号(昭和21年12月)”. 昭和館デジタルアーカイブ. 2026年6月14日閲覧。
- ↑ 中地 1998, pp. 457–458.
- 1 2 「由起しげ子」。コトバンクより2026年6月14日閲覧。
- ↑ 中地 1998, p. 458.
- ↑ 清水 2016, pp. 78–79.
- ↑ 中地 1998, pp. 456, 459.
- ↑ 中地 1998, p. 459.
- ↑ 清水 2016, p. 79.
- ↑ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』原書房、2015年、280、281頁。
- ↑ 津上 2017, pp. 80–81.
- ↑ “校歌一覧 犀星作詞の校歌”. 室生犀星記念館. 2026年6月14日閲覧。
- ↑ 室生犀星『黄金の針』中央公論社、1961年、198頁。
- ↑ “湯沢小学校校歌” (pdf). 湯沢町役場. 2026年6月14日閲覧。
- ↑ “文化財”. 湯沢町役場 (2022年9月12日). 2026年6月14日閲覧。
- ↑ 藏中 2017, p. 30.
- ↑ 藏中 2017, p. 23.
- ↑ 藏中 2017, p. 32.
- ↑ “第20回(1982年度)ギャラクシー賞受賞作”. NPO法人 放送批評懇談会. 2026年6月15日閲覧。
参考文献
[編集]書籍
[編集]- 『日本近代文学大事典』講談社、1984年。ISBN 4062009277。
- 「年譜」『芥川賞全集』第4巻、文藝春秋、1982年。ISBN 4165071404。
- 中地, 文「作家ガイド・略年譜」『森茉莉・由起しげ子・萩原葉子』角川書店〈女性作家シリーズ 6〉、1998年、454-459頁。ISBN 4045742069。
論文
[編集]- 藏中, さやか「作家由起しげ子の輪郭-神戸女学院所蔵「由起しげ子文庫」資料より-」(pdf)『女性学評論』第31巻、神戸女学院大学女性学インスティチュート、2017年3月20日、7-35頁、NCID AN10066294、2026年6月13日閲覧。
- 清水, 美知子「由起しげ子の小説にみる1950年代の女中像 : 「女中ッ子」を中心に」(pdf)『関西国際大学研究紀要』第17巻、関西国際大学、2016年3月31日、73-88頁、NCID AA11544811、2026年6月13日閲覧。
- 津上, 智実「神戸女学院所蔵資料に見る由起しげ子の音楽教育歴」(pdf)『女性学評論』第31巻、神戸女学院大学女性学インスティチュート、2017年3月20日、65-86頁、NCID AN10066294、2026年6月13日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 『由起しげ子』 - コトバンク
- 「本の話」由起しげ子 - 日本ペンクラブ電子文藝館