田辺南鶴

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田辺 南鶴(たなべ なんかく)は、講釈師の名跡。田辺派の祖。柴田久弥は十二代目と称したが実際過去に何人いたか不明。

初代[編集]

本名:不詳(姓は田宮)、(生没年不詳)。

武家の出身。神田辺羅坊寿観の門下。

門下から初代田辺南龍等が輩出。

二代目[編集]

三代目[編集]

(生没年不詳)

武蔵の浪人で軍談物を得意とした。

四代目~十一代目[編集]

この間に正流斎南窓・柴田派の正流斎南鶴らの名が数代続く。

十二代目[編集]

十二代目南鶴(1955年)

本名:柴田久弥、(1895年8月2日 - 1968年6月23日)。

滋賀県長浜の生まれ、2歳で上京し、中学卒業後、唐物屋を開業もそこそこに寄席通いをする。1910年落語家二代目三遊亭金馬に入門し三遊亭金平を名乗る。1913年1914年とも)に福馬、1915年1916年とも)二代目三遊亭小圓朝門下で三遊亭一朝を襲名。1917年1918年とも)に講談に転じて五代目田辺南龍門下で南郭、小南龍を経て1938年に十二代目南鶴を襲名。新作もよく演じ、「曲馬団の女」などの作がある。

弟子に田辺一鶴、二代目悟道軒圓玉等がいる。

出典[編集]

  • 古今東西噺家紳士録