田島翔
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名前 | ||||||
カタカナ | タジマ ショウ | |||||
ラテン文字 | TAJIMA Sho | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1983年4月7日(41歳) | |||||
出身地 | 北海道北斗市 | |||||
身長 | 168cm | |||||
体重 | 62kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
田島 翔(たじま しょう、1983年4月7日 - )は、北海道北斗市(旧・上磯町)出身のサッカー選手、プロ競技麻雀団体・RMU所属のプロ雀士。
ポジションはミッドフィールダーで、サイドハーフやボランチでプレーすることが多い。
経歴
[編集]小学生の頃は野球部でピッチャーを務め、サッカーは5年生の時にサッカーチームができ並行してプレー[1]。中学生からはサッカーに専念するが、北海道函館工業高等学校では実績を残せなかった[1]。
卒業後はサッカー留学でシンガポールへ渡る。 帰国後、2003年にラモス瑠偉を中心に立ち上げたFC琉球の入団テストを受け、合格[2]。2005年の九州サッカーリーグ開幕前の練習試合で相手選手のタックルを受け、開放骨折の大怪我を負う。2007年オフに契約満了で退団[1]。
その後はクロアチア、スペインへ渡ったが、2011年の東日本大震災をきっかけに帰国を決意。
ロアッソ熊本退団後はフットサル転向を希望し、シュライカー大阪に入団。
その後シュライカー大阪を半年で退団し、2014年にニュージーランド・フットボールチャンピオンシップのオークランド・シティFCに入団。再びサッカー界に復帰した。
2015年、北海道サッカーリーグの十勝フェアスカイFCに加入[4]。
2016年、アメリカ・NPSLのマイアミ・ユナイテッドFCに移籍。元ブラジル代表のアドリアーノ[5]、またカフーの息子とチームメイトであった。
2017年、同国UPSLのラスベガス・シティFCと契約。ラスベガス初の日本人選手としての加入。UPSL開幕戦でゴールを決めデビュー戦勝利を飾る。日本とラスベガスを何度も往復しているうちに、空港の入国審査に引っかかり、留置所へ連行された経歴を持つ[6]。
2018年7月、韓国のソウル・ユナイテッドFCへ移籍[7]。翌年からは選手と兼任でコーチにも就任[8]。
日韓関係悪化の影響で、2020年は自身がアドバイザーを務める函館社会人リーグの FC函館ナチャーロ に移籍[9]。同年6月、FC函館ナチャーロの退団とヨーロッパ挑戦を発表。自らのTwitterで新型コロナウイルスの影響により、収入源であるサッカースクールの規模縮小が理由と語っている[10]。
2020年12月、サンマリノ・カンピオナート・サンマリネーゼのSSペンナロッサに入団。同リーグでプレーするのは日本人初[11]。2021年5月までプレーした。
2022年7月、プロ競技麻雀団体RMUの入会試験を受け合格。12月には、Jリーグ初代チェアマンで、Mリーグ最高顧問を務める川淵三郎へRMUに入会したことを報告している。
2023年8月、ブラジルのカンピオナート・パラナエンセに所属するクラブ・アトレチコ・カンベと契約。 小学生の頃、卒業文集に「ブラジルでプロになる」と書いた夢が、40歳にして叶った。
経営者、アドバイザーとして
[編集]- 2011年、スペインから帰国後、地元北斗市に小学生のクラブチーム「FC北斗アステリスモ」を設立[12][13]。
- 2017年、函館市からJリーグを目指すことを目標に設立されたFC函館ナチャーロのチームアドバイザーに就任[14]。
- 2017年、函館市と北斗市を拠点とするサッカースクール「フットライズサッカーアカデミー」を設立[15]。
- 2021年、熊本県の開新高等学校サッカー部の外部コーチ。
その他
[編集]所属
[編集]- ユース経歴
- 上磯ジュニアFC
- 北斗市立上磯中学校
- 北海道函館工業高等学校
- プロ経歴
- 2002年 クレメンティ・カルサFC
- 2004年 - 2007年 FC琉球
- 2008年 NKヴァルテクス
- 2010年8月 - 2011年 TSKロセス
- 2012年 ロアッソ熊本
- 2013年 シュライカー大阪サテライト(フットサル)
- 2014年 オークランド・シティFC
- 2015年 十勝フェアスカイFC
- 2016年 マイアミ・ユナイテッドFC
- 2017年 ラスベガス・シティFC
- 2018年7月 - 2019年 ソウル・ユナイテッドFC
- 2020年12月 - 2021年5月 SSペンナロッサ
成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2012 | 熊本 | 28 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
通算 | 日本 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
総通算 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 |
脚注・出典
[編集]- ^ a b c “田島翔。ラスベガスからMLS目指す 34歳・流浪のフットボーラー | footballista | フットボリスタ”. www.footballista.jp (2017年12月19日). 2020年10月5日閲覧。
- ^ FC琉球・田島翔選手、Jリーグ目指し奮闘 - 函館新聞社 2005年3月4日
- ^ 『田島 翔選手、新加入のお知らせ』(プレスリリース)ロアッソ熊本、2012年2月1日 。2015年1月16日閲覧。
- ^ “田島翔が北海道リーグの十勝フェアスカイに移籍「リーグ連覇、JFL昇格に貢献できるように」”. サッカーキング (2015年4月15日). 2015年5月12日閲覧。
- ^ co.,Ltd, FromOne. “田島翔がマイアミ・Uに加入…元ブラジル代表アドリアーノとチームメートに”. サッカーキング. 2020年10月5日閲覧。
- ^ “【田島翔のサッカー人生】自ら営業までこなして函館から世界へ | ページ 3 / 6”. Football Tribe Japan (2018年9月25日). 2020年10月5日閲覧。
- ^ “なぜ日本人が韓国3部へ移籍したのか 田島翔が明かす「加入へのいきさつ」”. Qoly (2018年8月29日). 2018年9月1日閲覧。
- ^ “【田島翔のサッカー人生】指導からスカウトまで?自身で勝ち取った終身契約”. Football Tribe Japan (2019年2月14日). 2019年9月20日閲覧。
- ^ co.,Ltd, FromOne. “熊本や海外各国でプレーの田島翔、函館1部からJリーグ目指す!「幸せなサッカー人生です」”. サッカーキング. 2019年9月19日閲覧。
- ^ “https://twitter.com/tajivegas/status/1275602238069633025/”. Twitter. 2020年10月5日閲覧。
- ^ co.,Ltd, FromOne. “元熊本の田島翔、日本人初のサンマリノリーグへ移籍「CL出場が目標」”. サッカーキング. 2020年12月13日閲覧。
- ^ “『FC北斗アステリスモ』”. 函館サッカー・FC北斗アステリスモ. 2019年10月20日閲覧。
- ^ 道南の小学生サッカークラブが設立記念パーティー - 共同通信2011年11月22日
- ^ ラスベガスシティFC田島翔選手がチームアドバイザーとして提携
- ^ “『フットライズサッカーアカデミー』”. 韓国ソウル&函館サッカースクール. 2020年10月5日閲覧。
- ^ “https://twitter.com/japankelme/status/1278942761232695297”. Twitter. 2020年10月5日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 田島翔 - Soccerway.com
- 田島翔 - FootballDatabase.eu
- 田島翔 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 田島翔公式サイト
- 田島翔オフィシャルブログ by LaBOLA
- 函館サッカー・FC北斗アステリスモ
- 田島翔 (@tajivegas) - X(旧Twitter)
- 田島翔 (tajima.sho) - Facebook
- FC函館ナチャーロ
- フットライズサッカーアカデミー