田尾城

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田尾城
徳島県
別名 多尾城、白地山城
城郭構造 山城
築城主 小笠原頼清
築城年 南北朝時代
主な改修者 大西覚養
主な城主 大西頼信
廃城年 天正5年(1577年
指定文化財 市史跡
位置

田尾城(たおじょう)は、徳島県三好市山城町岩戸にある日本の城跡。別名は多尾城白地山城。三好市指定史跡。

概要[編集]

中世の山城で、南城と北城がある。

南北朝時代、池田城小笠原義盛南朝方として、北朝側の細川頼春と争うが利あらず、細川氏に服した。これに長男の小笠原頼清は従わず、讃岐国から侵攻してきた南朝の山岳武士集団・脇屋義助に呼応し、田尾城を築いて八ツ石城と連携して拠点とした。[1]

天正5年(1577年)春、長宗我部元親の侵攻を防ぐため、白地城主であった大西覚養によって改修が行われ、弟である大西頼信(当時13歳)を城主とした。この際、城の正面が南城となる。[1]

同年、長宗我部元親が率いる3000の軍勢が攻め寄せ、寺野武次が率いる300の兵で2日間に渡る力攻めに耐えるが、火攻めにより落城した。[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 田尾城址案内

関連項目[編集]