田名部館

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座標: 北緯41度17分46秒 東経141度12分36秒 / 北緯41.295985730464度 東経141.20988196251度 / 41.295985730464; 141.20988196251

田名部館の位置(青森県内)
田名部館
田名部館
田名部館の位置

田名部館(たなぶだて)は、青森県むつ市小川町[1]に所在した日本の城

田名部館は中世から近世の平城で、北側を切断している二重の空堀が遺構として残っている。館跡は代官山公園として整備されている。

沿革[編集]

建武年間の頃、八戸根城の南部師行が家臣 武田修理、赤目五郎を目代として置いたところといわれる。

康正年間、蠣崎城主蠣崎蔵人が南部氏に背いた際、糠部郡宇曾利郷(下北半島)が蠣崎氏の配下になったため、田名部館も南部氏の攻撃を受けた。(蠣崎蔵人の乱)乱後に根城(八戸)南部氏家臣新田盛政が城代となり、その後、八戸氏の属城となる。また慶長年間(15961615年)に八戸直政の室、清心尼が田名部北方の女館にいたが、元和3年(1617年)に南部利直が根城南部氏から下北の支配権を接収した。

寛文 9年(1672年)のころ、館下の常念寺を代官所としていたが、寛文13年(1673年)頃に、館のある場所に田名部代官所が移されて明治に至る。

戊辰の役後、明治元年(1868年)、南部藩の北郡三戸郡二戸郡金田一以北は削封され、翌 2年(1869年)、陸奧国3万石として会津藩が移封し斗南藩として田名部に移ったが、明治4年(1871年)に廃藩となった。

脚注[編集]

参考資料[編集]

  • 『岩手県史 第12巻 年表』 岩手県、1966年11月1日
  • むつ市史編さん委員会 『むつ市史 近世 編』 青森県むつ市、1988年3月31日
  • むつ市史編さん委員会 『むつ市史 年表 編』 青森県むつ市、1988年2月20日
  • 工藤睦男 『大畑町史』 青森県下北郡大畑町(現むつ市)、1992年2月1日
  • 児玉 幸阿・坪井 清足 『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』 新人物往来社、1980年7月15日
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 2 青森県』 角川書店、1985年12月1日ISBN 4040010205

関連項目[編集]

外部リンク[編集]