田原陶兵衛

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田原 陶兵衛(十二代)(たはら とうべえ(じゅうにだい)、1925年大正14年)6月19日 - 1991年平成3年)9月27日)は、日本の陶芸家。

十代陶兵衛の二男として山口県長門市に生まれる。長兄11代田原陶兵衛に後継者がいなかった為、家業陶芸を継承し、父や兄(十一代)に陶芸を学ぶ。1956年、兄の死去により十二代を襲名。

田原家は赤川助左衛門の系統を引く深川御用窯(深川萩)の陶芸一族としての名跡。1866年(慶応2年)8代赤川喜代蔵の時に嫡男謙治が赤川性から田原姓に改姓。十二代田原陶兵衛は独自の高麗朝鮮陶器の研究、茶道への造詣を深め茶陶中心に発表した。田原陶兵衛は田原家当主が代々襲名し現在に至る。現在『田原陶兵衛』の名跡は13代である。

略歴[編集]

  • 1925年 山口県長門市に生まれる。
  • 1944年 旧制山口高等学校在学中に召集を受けて満州に渡る。
  • 1945年 シベリアに抑留される。
  • 1948年 抑留先のシベリアから復員後、長兄11代田原陶兵衛に後継者不在の為家業を継承。
  • 1956年 12代田原陶兵衛を襲名。
  • 1972年 日本工芸会正会員。
  • 1981年 山口県の無形文化財保持者に認定。
  • 1991年9月27日没。66歳没。

系譜[編集]

  • 初代 赤川助左衛門
  • 2代 赤川三左衛門
  • 3代 赤川忠兵衛
  • 4代 赤川佐々エ門(佐兵衛、左々ヱ門)
  • 5代 赤川忠兵衛(喜右衛門)
  • 6代 赤川喜右衛門
  • 7代 赤川忠兵衛
  • 8代 赤川喜代蔵(光高)置物細工に秀ず青年時代より蘭学に志し医薬にもくわしく、木戸孝允等幕末藩士と親交あり。
  • 9代 田原陶兵衛(謙治) - 1934年 (昭和9年没) 幕末、喜代蔵の嫡男謙治が田原姓を名乗り田原陶兵衛を称する。
  • 10代 田原高麗陶兵衛(守雄) 1880年(明治13年)- 1939年(昭和14年)
  • 11代 田原高麗陶兵衛(忠太郎) 1956年(昭和31年没) 十代陶兵衛の長男。1943年(昭和18年)技術保存窯指定。
  • 12代 田原陶兵衛 1925年(大正14年)- 1991年(平成3年)。十代の二男。1956年(昭和31年)12代田原陶兵衛を襲名。
  • 13代 田原陶兵衛 1951年(昭和26年)- 現在当主。十二代の長男。中里重利に師事。1992年に父の死去により十三代を襲名。