田中耕三

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田中 耕三(たなか こうぞう、1926年大正15年〉5月13日 - )は、日本経営者山口銀行相談役。

経歴[編集]

山口県徳山市(現周南市)出身。埼玉県朝霞市海軍兵学校在学中に終戦を迎える。戦後慶応義塾大学大学院で経営管理学研究科の修士課程を修了し、日立製作所に入社。同社では人事部労務課に配属され労働組合との交渉窓口を担当した。

1953年(昭和28年)、山口銀行から労務管理の責任者として招聘され同年7月1日、同銀行に転籍し総務部長代理に就任。総務部人事課長、総務部次長兼人事課長等、長らく人事部門の役職を務めた後、本店営業部副長を経て1975年(昭和50年)5月に同銀行取締役に就任。以後取締役本店営業部長、常務取締役山口支店長、専務取締役営業本部長を歴任。

1992年(平成4年)6月、代表取締役頭取就任。在任中、2000年(平成12年)10月2日に個人向けインターネットバンキングのサービスを開始[1]2001年(平成13年)7月16日に日本の銀行としては初めて中国銀行中華人民共和国北京市)と業務提携し信用供与枠(クレジットライン)を設定した[2]2002年(平成14年)6月に頭取を退任し相談役に就任。

このほか山口放送監査役、宇部興産学術振興財団理事を務めている。

不祥事[編集]

1979年(昭和54年)に周南地区の支店長が定期証書偽造事件を起こした際、田中は同支店の統括店である徳山支店の支店長であったが、監督責任は問われなかった。

2004年(平成16年)に山口銀行の頭取が交代した際に、既に相談役に退き役員でなかった田中が大きく関与したことについて、中国財務局より「ガバナンス上の問題がある」と批判され、これが遠因となって経営不安があったもみじホールディングスとの経営統合(事実上の救済合併)を余儀なくされたと週刊ダイヤモンドが報じている。

脚注[編集]

  1. ^ 山口銀行、Iネットで預金の振替・振込サービスを開始 中国地方金融機関で初めて
  2. ^ 山口銀行、邦銀初の中国銀行との業務提携
ビジネス
先代:
伊村光
Yamaguchi Bank Logo.svg 山口銀行頭取
1992年 - 2002年
次代:
田原鐵之助