田中登

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たなか のぼる
田中 登
生年月日 (1937-08-15) 1937年8月15日
没年月日 (2006-10-04) 2006年10月4日(69歳没)
出生地 日本の旗 日本 長野県北安曇郡白馬村
死没地 日本の旗 日本 神奈川県相模原市
職業 映画監督
ジャンル 映画テレビドラマ
 
受賞
日本アカデミー賞
優秀監督賞
1979年人妻集団暴行致死事件
ピンクサロン 好色五人女
その他の賞
日本映画監督協会新人賞
1973年女郎責め地獄
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田中 登(たなか のぼる、1937年8月15日 - 2006年10月4日)は、日本映画監督

経歴[編集]

長野県白馬村出身[1]長野県大町高等学校を経て明治大学文学部入学。在学中、黒澤明の『用心棒』にアルバイトとして参加する。卒業後、日活に入社。日活がロマンポルノ路線に転向するとその一翼を担い、1972年『花弁のしずく』で監督デビュー。耽美的で凝った演出が高い評価を受け、1975~1978年に3本がキネマ旬報ベスト・テン入り。神代辰巳と並ぶロマンポルノのエース監督と目され、前後して東映の大作にも外部招聘された。映像へのこだわりは常軌を逸することもあり、『発禁本「美人乱舞」より 責める!』では、中島葵を裸で縛ったまま氷雪の池に放り込んで激怒させたと、浦戸宏の著書で回想されている(和解したのか、6年後の『丑三つの村』には出演している)。その後も意欲的なポルノ作品を次々と発表したが、1981年にフリーになって以降は、2時間ドラマの演出などテレビの仕事が中心となった。

2006年10月4日午前9時50分、急性動脈瘤解離のため神奈川県相模原市の病院で死去。69歳没。

2022年、第78回ベネチア国際映画祭のクラシック部門(ベニス・クラシックス)において1974年の監督作品『(秘)色情めす市場』4Kデジタル復元版が選出。日活ロマンポルノ作品初の世界三大映画祭選出となった[2]

監督作品[編集]

映画[編集]

テレビ[編集]

  • 黒岩重吾シリーズ 女の熱帯(毎日放送、1980年)
  • 木曜ゴールデンドラマ (よみうりテレビ)
    • 霧の国際空港殺人事件(1981年)
    • 北のめぐり逢い(1982年)
    • その夜は忘れない(1982年)
    • 愛の報い(1983年)
    • 死者をして語らしめよ!(1983年)
    • 主婦・万引き(1983年)
    • 通り魔を弁護した女(1985年)
  • 火曜サスペンス劇場 (日本テレビ)
  • 月曜ワイド劇場 (テレビ朝日)
    • 悪女の手記(1982年)
    • 白い悪魔が忍びよる(1984年)
    • 金属バット殺人事件(1985年)
  • 土曜ワイド劇場 (テレビ朝日)
    • 鬼火 仮面の男と湖底の女(1983年)
    • 真珠郎(1983年)
    • 処刑教師(1984年)
    • 異常の太陽(1986年)
    • 嫉妬(1986年)
    • 死体を置いていかないで(1996年)
  • 松本清張サスペンス (関西テレビ)

書籍[編集]

関連文献[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]