田中甲

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田中 甲
たなか こう
生年月日 (1957-01-08) 1957年1月8日(61歳)
出生地 千葉県市川市
出身校 立教大学社会学部卒業
前職 衆議院議員
現職 リーダーシップ研究所 代表
所属政党自由民主党→)
新党さきがけ→)
旧民主党→)
民主党→)
政党・尊命→)
みんなの党→)
日本維新の会→)
無所属
公式サイト 田中 甲公式ホームページ - こう!と決めたら田中 甲

日本の旗 衆議院議員
選挙区旧千葉4区→)
千葉5区
当選回数 3回
在任期間 1993年7月19日 - 2003年10月10日

当選回数 1回
在任期間 1990年3月 - 1993年

Flag of Ichikawa, Chiba.svg 市川市議会議員
当選回数 1回
在任期間 1987年5月2日[1] -
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田中 甲(たなか こう、1957年昭和32年)1月8日 - )は、日本政治家衆議院議員(3期)、千葉県議会議員、市川市議会議員などを歴任した。「リーダーシップ研究所」を設立し、代表・講師を務めている。現在、戦争と核(原発)と貧困のない自由な社会をつくる会 代表世話人。「次代をひらく三つの鍵」実行委員会 代表。

略歴[編集]

千葉県市川市出身。立教高等学校(現・立教新座高等学校)卒業。1980年(昭和55年)3月、立教大学社会学部卒業。

1987年(昭和62年)4月、市川市議会議員に初当選。1990年(平成2年)3月、千葉県議会議員の補欠選挙に初当選。市議・県議時代は自由民主党に所属した。

1993年平成5年)の衆議院選挙において新党さきがけ新人として千葉4区より立候補し、初当選。

1996年(平成8年)に、旧民主党の結党に参加する。その直後に行われた衆議院選挙において、千葉5区から立候補し当選、千葉県内の小選挙区における旧民主党が唯一確保した議席となった。

1998年(平成10年)、民主党の結成に参加する。1999年(平成11年)に行われた、2度の民主党代表選挙で、1月では松沢成文の推薦人、9月では鳩山由紀夫の推薦人となる。2001年(平成13年)、労働組合の支援を受ける姿勢への不満から離党し、政党・尊命を設立、自らが代表となる。2003年(平成15年)の衆議院選挙で再選を目指したが、古巣である民主党が擁立した村越祐民に敗れ、落選した。

2005年(平成17年)の衆議院選挙には立候補しなかったが、2009年(平成21年)1月6日、次期衆議院選挙に、千葉5区から無所属として立候補することを表明。その後、7月政治団体日本の夜明けへの合流を表明し、同団体を母体とするみんなの党を渡辺喜美らと結党。同党公認で千葉5区より2期ぶりに立候補したが落選した。

2012年(平成24年)の衆議院選挙には、日本維新の会公認で比例南関東ブロックから立候補したが落選した。

2017年(平成29年)10月25日、任期満了に伴う市川市長選挙に立候補する意向を表明。国際大学の誘致などを公約に掲げ[2]、同年11月26日投開票の選挙に出馬した。開票の結果、田中や上述の村越祐民を含む候補者5人全員が法定得票数を満たさず、再選挙が決まった(田中の得票数は5人中3番目)[3]。田中は「次の可能性を十分感じさせる得票だ」と述べ、再選挙に挑む考えを表明した[4]。2018年3月14日、自民党への復党願とともに推薦依頼文を党市川市支部に提出した[5]。田中および前回推薦した坂下茂樹から推薦願を受けた自民党県連は「自主投票」と決めるも、自民党市川市支部は坂下への推薦を決定した[6]。再選挙は2018年4月22日投票で行われ、前回候補者のうち田中、坂下、村越の3人による争いとなったが[7]、村越が当選し、田中は次点に終わった。

政策[編集]

  • 1999年(平成11年)、日本の戦争責任資料センター代表の荒井信一が主催する「恒久平和調査局設置を求める院内集会」に参加。自由民主党は責任や賠償から逃れたいために、歴史の事実を明らかにすることに反対している、と述べた[8]
  • 選択的夫婦別姓制度を推進[9]

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]