田中清文

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田中 清文(たなか せいぶん[1] / きよふみ[2]1872年11月24日(明治5年10月24日[1])- 1951年昭和26年)10月3日[3])は、日本の政治家実業家衆議院議員貴族院多額納税者議員富山県東礪波郡福野町長、初代北日本新聞社長[1]。旧姓・有川[1]

経歴[編集]

新川県礪波郡福野村(現:富山県南砺市)で、有川甚造の二男として生まれ、親族で豪農の田中清三の養子となる[1]1903年中央大学法律科を卒業[3]。帰郷後、田中貯蓄銀行を設立し頭取に就任し[1]、さらに田中銀行頭取となる[3]

1903年9月、富山県会議員に当選し副議長に就任[1]1913年2月、第11回衆議院議員総選挙で富山県郡部から選出された広瀬鎮之が選挙法違犯で辞職[4]したことに伴い繰上補充となり、衆議院議員を一期務めた[3]1918年9月29日、貴族院多額納税者議員に選出され[5]研究会に所属して1925年9月まで一期在任した[2]1941年7月、近隣三村を編入して新たに発足した福野町の町長に就任[1]

1908年11月、政党色の強い既存新聞に対抗して、不偏不党を掲げて『北陸タイムス』を富山市で創刊し、1910年から社長を務めた[1]1940年8月、県内四紙の統合で『北日本新聞』が発足した際に初代社長に就任した[1]

著作[編集]

  • 編『御大礼記念表誠帖』北陸タイムス社出版部、1929年。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 『富山大百科事典 下巻』178頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』206頁。
  3. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』358頁。
  4. ^ 『官報』第165号、大正2年2月19日。
  5. ^ 『官報』第1848号、大正7年9月30日。

参考文献[編集]

  • 『富山大百科事典 下巻』北日本新聞社、1994年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。