田中浩二 (バレーボール)
田中 浩二(たなか こうじ、1967年8月 - )は、3大会パラリンピックにシッティングバレー日本代表として出場、『シッティングバレーボールクラブ 滋賀サーカス』を結成し、シッティングバレーの普及に務めている。
略歴[編集]
田中浩二は1967年8月滋賀県伊香郡余呉町(現滋賀県長浜市余呉町)に生まれた[1]。中学時代に日本台湾親善試合の滋賀選抜として国際大会に出、私立近江高等学校に進学し、全国高等学校バレーボール選抜優勝大会に出場した[1][2]。高校卒業後は9人制実業団チームに所属していたが、1998年交通事故で左足膝下切断[3]し1999年シッティングバレーボールと出会い翌年4月には『シッティングバレーボールクラブ 滋賀サーカス』を結成した[1][2]。同年10月シドニーパラリンピックに日本代表として選出され、以降アテネ・北京パラリンピックに連続出場し、アテネ[1][2][3]・北京では主将としてチームを牽引した。『シッティングバレーボールクラブ 滋賀サーカス』に所属すると共に、『日本シッティングバレーボール協会』選手会長として、協会の充実と後進の育成に努めている。
関連事項[編集]
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 日本シッティングバレーボール協会. “日本シッティングバレーボール協会ホームページ”. 2013年7月20日閲覧。
- 日本障害者スポーツ協会. “日本障害者スポーツ協会ホームページ”. 2013年7月20日閲覧。
- 滋賀ガイド. “2008.09.03 ガンバレ! ガンバレ!!北京パラリンピック 日本代表アタッカー”. 2013年7月20日閲覧。
- 中日新聞. “2008.09.14 【バレーボール】エース田中に高い壁 男子最下位”. 2013年7月20日閲覧。