田中啓一 (蕨市長)

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日本の旗 日本の政治家
田中 啓一
たなか けいいち
生年月日 (1926-04-02) 1926年4月2日(91歳)
出生地 埼玉県蕨市
出身校 埼玉県立川越工業高等学校 卒業
所属政党 無所属
称号 旭日中綬章
親族 長男・田中良生衆議院議員

Flag of Warabi, Saitama.svg 第5代 蕨市長
当選回数 7回
在任期間 1975年 - 2007年6月5日
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田中 啓一(たなか けいいち、1926年4月2日 - )は、日本政治家埼玉県蕨市の前市長である。

経歴[編集]

1944年3月に埼玉県立川越工業学校(現・埼玉県立川越工業高等学校)を卒業した。

父の反対を押し切り、1953年蕨市議会議員に出馬・当選した。

1963年に長男の田中良生が生まれ、翌年の1964年に市議会副議長と1970年に市議会議長を経て、1975年に蕨市長に当選した。1980年に日本で全国初の総合体育館併設のコミュニティーセンターを落成、1988年には日本で全国初のまちづくり条例を制定させた。また任期では大阪府貝塚市の市長である吉道勇の10期に次いで全国2番目となり、高齢市長としては上から3番目にランクされた。2007年の2月21日に勇退を表明、同年6月3日に行われた蕨市長選では、蕨市議の庄野拓也を後継指名したが、共産党無所属頼高英雄に敗れた。保守派の敗北となり「市民が選択したことなので、結果は市民が負う。市長が代わっても何でもかんでも変えられない。そんなことをしたら財政が破綻する」と改革派を牽制したコメントを出した[1]2008年5月3日に蕨市名誉市民称号を受賞された。同年の11月に旭日中綬章も受章した。

市の広報誌の雑感には350回と毎月第1木曜日には市民との会話の会合を開いた。健康の秘訣は「暴飲暴食と夜遊びはしなかったこと」と退任の挨拶では「三十二年間問題もなく、満期で退任するのはホッとすると同時に安心した」とコメントを残している。

退任直前、読売新聞から2004年に市内小学校で発生したいじめ自殺についての取材を受けるも、その応答が「他人事のような対応に終始」と評せられる(2007年5月19日付コラム)。

脚注[編集]

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  1. ^ 県内初の共産籍 党派超え頼高氏当選 蕨市長選[リンク切れ](web埼玉)
先代:
金子吉衛
蕨市長
1975年 -2007年
次代:
頼高英雄