田中判決解散

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

田中判決解散(たなかはんけつかいさん)とは、1983年11月28日衆議院解散の俗称[1]

概要[編集]

1983年10月12日東京地方裁判所で行われたロッキード事件第一審判決公判で元内閣総理大臣田中角栄に対し懲役4年、追徴金5億円の実刑判決が言い渡される[2]無罪を主張していた田中は不退転の決意を示し、衆議院議員辞職を拒否、即日控訴を表明する[3]

元首相の実刑判決に国会は紛糾。野党は田中への議員辞職勧告決議案の上程、採決を強硬に主張し、国会審議は空転する[4]。田中が中曽根総理に衆議院の解散を唆した上に[5]福田一衆議院議長木村睦男参議院議長が連名で、政府提出の重要法案の審議を促進させることを野党に同意させた上で、衆議院解散をする斡旋案を提示。与野党がそれを受け入れたため、重要法案成立後に中曽根内閣が衆議院解散を決定した。

この解散を受け行われた同年12月18日第37回衆議院議員総選挙では、田中は新潟3区で自身最高の22万761票を獲得して1位当選を果たすが[6]、自民党は田中判決の逆風にあい、過半数割れとなった。自民党は政権を維持するために新自由クラブ連立政権第2次中曽根内閣)を組むこととなり、1955年から28年続いた自民党単独政権が一旦は終了した。

なお衆議院解散から衆議院議員総選挙の投票日までの期間は史上最短の20日間である。

脚注[編集]

  1. ^ 朝日新聞 1990年02月12日 朝刊 特集 「「図解」 総選挙データ事典-「国民の意思」の流れをたどる-」
  2. ^ 朝日新聞 1983年10月12日 東京/夕刊 1頁 「判決理由の骨子_田中に懲役4年の実刑判」
  3. ^ 朝日新聞 1983年10月12日 東京/夕刊 1頁 「田中ら四被告が控訴 再保釈も地裁に申請_田中に懲役4年の実刑判決」
  4. ^ 朝日新聞 1983年9月2日 東京/朝刊 2頁 「田中議員辞職勧告の決議「一歩も妥協せず」 民社委員長」
  5. ^ 倉山満『検証 財務省の近現代史』光文社新書
  6. ^ 朝日新聞 1983年12月19日 東京/朝刊 1頁 「即日の焦点区 田中元首相22万票 野坂氏は落選 佐藤元政務次官選」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]