田中俊一 (物理学者)

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田中 俊一
(たなか しゅんいち)
Shunichi Tanaka cropped 2 Allison Macfarlane and Shunichi Tanaka 20121218.jpg
生誕 (1945-01-09) 1945年1月9日(72歳)
日本の旗 日本 福島県福島市
国籍 日本の旗 日本
教育 東北大学工学部卒業
業績
専門分野 原子力工学
勤務先 日本原子力研究所
日本原子力研究開発機構
内閣府
高度情報科学技術研究機構
原子力規制委員会

田中 俊一(たなか しゅんいち、1945年1月9日 - )は、日本工学者原子力工学・放射線物理学・放射線遮蔽工学)。学位工学博士東北大学1978年)。原子力規制委員会委員長(初代)。

日本原子力研究所副理事長、独立行政法人日本原子力研究開発機構特別顧問、社団法人日本原子力学会会長(第28代)、内閣府原子力委員会委員長代理、財団法人高度情報科学技術研究機構会長、内閣官房参与などを歴任した。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

1歳9か月頃の田中

1945年福島県福島市生まれ[1][2]。福島県伊達郡伊達町(のちの福島県伊達市)で小学校に通ったのち、中学生から会津で過ごす。1963年3月福島県立会津高等学校を卒業した。

1967年3月東北大学工学部原子核工学科を卒業し[3][2]、同年4月特殊法人日本原子力研究所(のちの日本原子力研究開発機構)に入所した[1][2]。なお、1978年12月に、東北大学より工学博士学位を取得した[2][4]。博士論文の題は「熱蛍光線量計による放射線測定に関する研究」[5][2]である。

日本原子力研究所[編集]

日本原子力研究所では、1992年4月に原子炉工学部にて遮蔽研究室の室長に就任し[1][2]1997年12月には企画室の室長に就任した[2]1999年4月には東海研究所の副所長に就任し[1][2]2002年7月より東海研究所の所長に就任するとともに、日本原子力研究所の理事を務めることになった[1][2]2004年1月、日本原子力研究所の副理事長に就任した[1][2]

なお、日本原子力研究所在勤時、日本原子力研究所労働組合(原研労組)中央執行委員を務めたことがある[6]。また、2005年6月より、日本原子力学会の副会長を務めた。

日本原子力研究開発機構[編集]

その後、日本原子力研究所は核燃料サイクル開発機構と統合再編され、新たな独立行政法人として日本原子力研究開発機構が発足することになった。2005年10月、日本原子力研究開発機構の特別顧問に就任した[2]。また、2006年6月には、日本原子力学会の会長に就任した[7][8]

内閣府原子力委員会[編集]

2007年1月から2009年12月まで、内閣府審議会等の一つである原子力委員会委員となり、常勤の委員長代理を務めた[1][4][3][2]。また、2007年8月特定非営利活動法人の放射線安全フォーラムにて副理事長に就任した[1]

高度情報科学技術研究機構[編集]

2010年4月財団法人(のちに一般財団法人に移行)の高度情報科学技術研究機構にて会長に就任した[3][2]2011年4月1日には、原発推進の学者16人連名で「原子力の平和利用を先頭だって進めてきた者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝する」「状況はかなり深刻で、広範な放射能汚染の可能性を排除できない。」として、原子力災害対策特別措置法に基づき、国と自治体、産業界、研究機関が一体となって緊急事態に対処することを求める異例の緊急提言を発表した[9][10]。同年4月11日より、文部科学省原子力損害賠償紛争審査会にて委員を務める。同年5月には、福島県内の除染が開始された[8]。高度情報科学技術研究機構の会長を退き、2012年4月顧問に就任した[2][11]。また、同年9月11日より内閣官房にて参与も務めた。ほかに、福島県除染アドバイザー、伊達市除染アドバイザーなども務めた[2]

原子力規制委員会[編集]

環境省外局である原子力規制委員会の初代委員長に就任することとなった[8]。2012年9月19日皇居宮殿正殿松の間で行われた認証官任命式で天皇から認証され、委員長に就任した[12]

主張[編集]

  • 2009年8月18日 「往々にしてもんじゅは動かすことに頭がいっていて、もんじゅを一体どういうふうに使うかということが、この14年間の空白の中で若干当事者、関係者含めて忘れ去られている。」[13]
  • 2011年7月25日 放射線の健康影響 JCO臨界事故による住民に対する最大の影響は心的ストレス[14]
  • 2011年8月23日 国(政治)が取組むべき緊急課題は、(1)国の責任で放射能除染に早急に着手すること、(2)放射能除染に伴う廃棄物の最終処分方法を早急に提示すること(3)住民に対する健康管理[15]
  • 2011年9月1日 「…飲料水の暫定基準値は1リットル当たり200ベクレル。海水浴場で海水を毎日1リットル飲む人がどこにいますか。こういう基準を決めることで、小学校や中学校のプールの除染が難しくなり、除染コストがどれだけ増える考えたことがあるのでしょうか。…海水浴場の基準を200ベクレルにしても何も起きません。もう異常としか言いようがない。東電の事故がきっかけですが、国が被害を拡大していると言いたくなります。」「科学者の様々な意見を否定はしませんが、現在の状況で国際的な合意と違う異見を主張して、国民を混乱させるのは控えるべきであると思います。」「100ミリシーベルト以下ではそんなに健康影響は大きくありません。」「一番のリスクは被ばくを怖れるストレスと言われています。」[3]
  • 2013年7月に柏崎刈羽原子力発電所の再稼働問題について、地元新潟県の泉田裕彦知事と、東京電力の広瀬直己社長との会談が物別れに終わったことに関し、「申請が出されれば粛々と審査していく。」とし、「地元自治体との調整については規制委員会では関与しない。」と述べた[16]
  • いわゆる「原子力ムラ」の関係者だという意見がある[17]

略歴[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h 福島県での放射能除染”. 一般財団法人日本原子力文化振興財団(JAERO) (2011年11月25日). 2012年7月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 原子力規制委員会委員長(候補)田中俊一”. 内閣官房 (2012年). 2012年9月5日閲覧。
  3. ^ a b c d 100ミリシーベルト以下なら健康への影響は大きくない 元原子力委員会委員、田中俊一氏インタビュー”. 日経ビジネス (2011年9月15日). 2012年9月26日閲覧。
  4. ^ a b 委員の紹介”. 内閣府原子力委員会. 2012年7月20日閲覧。
  5. ^ 博士論文書誌データベース”. 博士論文書誌データベース. 2013年9月19日閲覧。検索キーワード=熱蛍光線量計による放射線測定に関する研究
  6. ^ 日本原子力研究開発機構労働組合ホームページ あなたの疑問に答える Q&A / Q7:組合に入ると、研究所から差別されるのではないかと心配です。
  7. ^ 日本原子力学会歴代会長”. 日本原子力学会. 2012年7月20日閲覧。
  8. ^ a b c 原子力規制委員会委員長プロフィール
  9. ^ 原発事故、国内の経験総動員を…専門家らが提言”. 読売新聞 (2012年4月2日). 2012年9月26日閲覧。
  10. ^ 原発推進学者が次々懺悔 「国民に深く陳謝する」 J-CASTニュース 2011/4/16
  11. ^ 原子力規制委員長に田中俊一氏 行政の縦割り構造批判”. 朝日新聞 (2012年7月20日). 2012年7月20日閲覧。
  12. ^ 【皇室ウイークリー】(245)雅子さま、今週もご活動 悠仁さまとともに…天皇陛下“ご復活”の和船 産経新聞2012年9月22日
  13. ^ 田中俊一=原子力委員長代理、2009年8月18日第31回原子力委員会定例会議議事録--もんじゅ : 高速増殖炉開発予算の抜本的な見直しについての要請 原子力資料情報室 2009/12/18
  14. ^ 原発事故により放出された放射能とその対策 福島における放射能除染のあり方について(講演会資料)”. コープふくしま (2011年7月25日). 2012年9月5日閲覧。
  15. ^ 福島県の放射能除染の必要性と課題”. 原子力委員会 (2011年8月23日). 2012年7月20日閲覧。
  16. ^ 柏崎刈羽原発「粛々と審査」 規制委・田中委員長日本経済新聞2013/7/10
  17. ^ “[国会同意なしで任命 原子力規制委人事 原子力規制委員会委員長(候補)田中俊一]”. 産経新聞 (2012年9月5日). 2012年9月5日閲覧。

外部リンク[編集]

公職
先代:
(新設)
日本の旗 原子力規制委員会委員長
初代:2012年 -
次代:
(現職)
非営利団体
先代:
村上健一
高度情報科学技術研究機構会長
2010年 - 2012年
次代:
(空位)
文化
先代:
芹澤昭示
日本原子力学会会長
第28代:2006年 - 2007年
次代:
河原暲