瑞龍寺 (近江八幡市)
| 瑞龍寺 | |
|---|---|
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| 所在地 | 滋賀県近江八幡市宮内町19-9 |
| 位置 |
北緯35度8分39秒 東経136度4分56.8秒 |
| 宗派 | 日蓮宗 |
| 本尊 | 三宝尊 |
| 創建年 | 文禄5年(1596年) |
| 開山 | 日秀尼 |
| 開基 | 後陽成天皇 |
| 正式名 | 村雲御所瑞龍寺門跡 |
| 別称 | 村雲御所 |
| 札所等 | びわ湖百八霊場第73番 |
| 法人番号 |
1160005007131 |
瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、滋賀県近江八幡市の八幡山山頂、八幡山城本丸跡にある日蓮宗の寺院。日蓮宗唯一の門跡寺院である。豊臣秀次の菩提寺でもある。
歴史[編集]
智(とも)は実子のいない弟・豊臣秀吉に、長男の秀次を養子として出していた。しかし文禄4年(1595年)、秀次は秀吉と対立し、蟄居先の高野山で自害してしまった。その後、秀次の妻子は三条河原で処刑され、智の夫であり秀次の実父である三好吉房も流刑となった。
唯一残された智は処刑された子や孫の菩提を弔うために出家し、以前から帰依していた日蓮宗による寺院を建てようとしたところ、文禄5年(1596年)、話を聞いた後陽成天皇より嵯峨の村雲(現・二尊院の北側)の寺地と「瑞龍寺」の寺号、そして寺領1000石を賜って創建された。これにより瑞龍寺は日蓮宗寺院では唯一の門跡寺院となり、また勅願所ともなり、別名を村雲御所と称するようになって、以後、代々皇女や公家の娘を貫首として迎えた。
江戸時代には嵯峨から西陣(現在の堀川今出川付近)に移転する。その後、天明8年(1788年)の天明の大火により全焼するが、中興の祖・9世・日尊尼が文政7年(1824年)から28年の歳月を掛けて再建を果たした。
1961年(昭和36年)、11世・日浄尼のとき、京都今出川堀川から秀次ゆかりの八幡山城址に寺地を移したが、日浄尼はその完成を見ず遷化。その後、1968年(昭和43年)に入山したのが、小笠原氏出身の12世・日英尼である。家庭の不幸から出家に追い込まれた日英尼は、以後の生涯を瑞龍寺の再建に捧げた。その後を嗣いだのが、宝塚歌劇団卒業生であった桜緋紗子こと13世・日凰尼である。日凰尼は2002年(平成14年)3月20日に89歳で遷化するまで瑞龍寺の再建に寄与した。14世・日澄尼までは尼僧であったが、現住15世は男僧の鷲津日英貫首(枚方市最妙寺より晋山)である。
境内[編集]
- 山門
- 本堂
- 瑞興殿
- 金生稲荷神社
- 庫裏
- 地蔵堂
供養[編集]
豊臣秀次の命日の7月15日には、瑞龍寺住職により、八幡山で供養が行われる。なお秀次の首塚と日秀尼の墓は、京都の善正寺にある。秀次の幼児妻妾たち39人、賜死した家臣10人の墓と秀次の五輪塔が京都の瑞泉寺にある。また、秀次が切腹した高野山には秀次の墓所がある。
旧末寺[編集]
日蓮宗は1941年(昭和16年)に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
寺観[編集]
京都から移転したときに移築された本堂などが残っている。ここから望む近江八幡市街地や琵琶湖の景観は絶景といわれる。
札所[編集]
交通アクセス[編集]
- 電車でのアクセス
- 車でのアクセス
拝観[編集]
- 拝観料 300円
- 拝観時間 9:00-17:00