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琉球地位未定論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

琉球地位未定論(りゅうきゅうちいみていろん)は、沖縄地位未定論琉球帰属未定論ともよばれ、中華民国台湾)政府や中華人民共和国において、学者や中国共産党系機関誌等で主張されている、『沖縄が日本に属している法的な根拠はない』という理論である[1]

琉球地位未定論
各種表記
繁体字 琉球地位未定論
簡体字 琉球地位未定论[2]
拼音 liú qiú dì wèi wèi dìng lùn
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琉球地位未定論が登場した背景

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琉球地位未定論(Theory of the Undetermined Status of Ryukyu)は、近年中国政府が対日外交上の論点として取り上げたことで国際的関心を集めたが、その起源は戦後すぐのアメリカ政府文書や一部国際法学者の研究、さらには沖縄の一部運動にまでさかのぼる。主張の核心は、戦後の国際法が琉球諸島の最終的な主権帰属を明示していないため、日本の主権が当然視されるべきではないという点にある[3]

この議論が生じる背景には、サンフランシスコ平和条約(1951年)の規定がある。同条約第3条は、日本がアメリカによる琉球諸島の「施政・管轄・占領」を認めると定めた一方、主権移転には触れていない。アメリカ国務省文書には1950〜60年代を中心に「主権は未確定である」とする表現が存在し、主権の扱いをあえて明確にしないアメリカの政策的意図が働いていたと指摘される。冷戦期、琉球を第一列島線の前進基地として維持しつつ、中日関係や台湾問題に波及する領土論争を避けるため、主権問題を「留白」したのである[3]

1972年の沖縄返還協定は、名称に「返還」を冠しながらも扱ったのは施政権の移転にとどまり、主権について明文はない。しかし国際実務上は、返還後に国連を含む国際社会が沖縄を日本領と承認した経緯から、「主権は日本に帰属する」という政治的現実が確立した。一方で、条約文の曖昧さ自体は法的・歴史的解釈の余地を残している。

中国側はこの曖昧性を外交的レバレッジとして活用しているが、その積極的提起は2013年以降で、歴史的連続性を有する主張とは言い難い。背景には、日本が台湾有事への関与を明確にしつつある安全保障政策の変化があるとされ、中国は琉球の地位をあえて「争点化」することで、①日本の台湾関与の正当性へ反論、②日米の先島諸島・沖縄周辺での軍事配置への政治的圧力、③台湾問題の国際化に対する「敘事上の対抗措置」を意図していると分析される。ただし、中国自身はサンフランシスコ平和条約の当事国ではないため、法的に主権問題を再提起する立場にない[3]

沖縄では、主権問題そのものよりも米軍基地負担が主要な争点であり、独立論や「未定論」が主流的立場となったことはない。多くの住民にとって、中国の論点化は外部からの政治的利用として受け止められている[3]

総じて、琉球地位未定論の背景には、サンフランシスコ平和条約の文言が生んだ法的曖昧性、アメリカが冷戦期に意図的に残した主権の「空白」、そして現代の中日関係・台湾情勢をめぐる戦略的言説競争がある。現在の国際社会においては「主権は日本に帰属する」との判断が定着しており、中国による主張は主として外交的・宣伝的な位置づけにとどまっている[3]

中華人民共和国における議論

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「沖縄地位未定論」を主張する中国の歴史研究者は1990年代から存在してきたが、2013年には中国共産党機関紙、人民日報沖縄県の帰属は「歴史上の懸案であり、未解決の問題だ」などとする論文を掲載したことが知られるきっかけとなった[4]中国政府が公式の立場として、沖縄県が日本には属さないということを述べたことはないが、中国国内のフォーラムや学会、書籍等において熱心に議論されている論である。 ただし、2024年5月21日中華人民共和国報道官の華春瑩は「日本の領土は本州、北海道、九州、四国、その他の小さな島々に限定されるべきであり、それは我々の戦勝国によって決まるだろう」と沖縄地位未定論に基づいた発言をSNSで行った[5]

台湾中央研究院近代史研究所副研究員、東京大学東洋文化研究所の特任研究員の林泉忠は、中国で高まる「琉球地位未定論」の議論の各段階の特徴を分析し、一連の動きを「中国の琉球カード」と命名した。そして、この動きには「『台湾有事』への介入を牽制する狙い」があると指摘しつつ、コストと代償が大きいとして、中国政府が「琉球地位未定」を正式に表明することはないと断言している。 その理由として、林氏は以下の五点を挙げている。 [6]

  1.  1972年の「日中共同声明」で領土の保全を尊重し合っていること。
  2.  「禁反言の原則」(エストッペル)による制限があること。 
  3.  日本側の反発を招き、台湾や香港、チベット、新疆などの「地位未定」論を提起される可能性があること。 
  4.  大多数の沖縄住民の意向に反すること。 
  5.  国際社会の支持を得にくいこと。[6]

主な主張

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  • 中国社会科学院国際法研究所の羅歓欣は沖縄返還について『「1971年、日米は「統治権」を日本に「一方的に」譲り渡し、「移譲・譲渡」するという違法な「琉球及び大東諸島に関する協定」を私的に締結した。』と述べている[7]
  • 北京大学歴史教授の徐勇も「琉球王国が日本の『沖縄県』に変貌したのは軍国主義的侵略の結果であり、戦後日本が琉球諸島をアメリカから奪取したのも国際法上の根拠を欠いている」と言及、主権帰属の合法性を検討しても、『琉球の地位は確定していない』と述べている[7]
  • ポツダム宣言では、「日本国の主権は、本州、北海道、九州及び四国並びに吾等が決定する諸小島に局限せらるべし。」と記載されている。この「小諸島」に琉球は含まないという意見が含まれる[7]
  • 2023年6月4日、習近平中国共産党総書記が「福州には琉球館、琉球墓があり、琉球との交流の根源が深いと知った」[8]と発言したことから、再び琉球地位未定論に関する議論が中国のメディアで議論を呼んだ[9]
  • 中国社会科学院学部院の張海鵬は、日清戦争後にも清政府は日本の琉球併合を決して認めておらず、1879年の日本の琉球併合は違法であり、国際法に違反している。国際法文書のカイロ宣言ポツダム宣言は、琉球が日本の領土であることを否定しており、国連の主催者・常任理事国として、中国には介入する権利があると述べている[10]
  • 中国共産党の機関紙環球時報は、2016年8月、琉球列島の地位は、論理的にも法的にも歴史的にも実は現在でも未確定であると考えられる。これは当初の英国による香港の中国への返還とは全く異なる概念であると『琉球の地位は未定である、「日本沖縄」と呼んではいけない』というタイトルで記事を掲載した[11]
  • 2025年11月、CGTNは英語発信で琉球地位未定論に関する特集報道を行った[12]

日本政府の見解

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日本政府は昭和22年(1947年)時点から諸小島には琉球諸島が含まれるという認識を示しており、沖縄がアメリカ軍の占領下に置かれていた段階でも主権は残存しているという見解を取っていた[13]。 1951年9月8日に連合国の多くの国と締結された「日本国との平和条約」(サン・フランシスコ平和条約)の第三条では「北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)」等が、アメリカ合衆国を単独の施政権者とする信託統治下に置かれることが定められている[14]。その後、アメリカから日本に対して沖縄返還が行われる事となり、日本政府はこの条約締結国全てが沖縄に対する日本の主権を認めているという見解を示している[15]。日本およびこの条約の締結国の間で沖縄の地位が未定であるという公式な議論は発生していない。

アメリカ合衆国の見解

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アメリカ合衆国は、琉球諸島を軍政下に置いていた時期でも日本の「剰余主権」が発生しているという見解を示していた。1961年6月22日のジョン・F・ケネディアメリカ合衆国大統領池田勇人内閣総理大臣の共同声明では、日本の琉球諸島に対する「剰余主権」を認めている[16]

中華民国における主張

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戦後間もない時期には中国大陸の大部分を制圧していた中華民国においても、琉球の中国帰属論が取り扱われていた。1947年10月18日には張群行政院長が「琉球群島は我が国と特殊な関係にあり、我が国に帰属するべきだ」と主張し、外交部や地方議会からも琉球領有を求めるべきだとする要求が起こっていた[17]。その後中国共産党に敗れて台湾に逃れた中華民国政府は、「日本国との平和条約」締結時に日本の主権に反対し、信託統治にするべきであるという意見を述べている[18]

1952年4月28日、「日本国との平和条約」の代わりに締結された「日本国と中華民国との間の平和条約」の第二条では、「日本国との平和条約第二条に基づき」と「日本国との平和条約」の有効性を認めているが、琉球の所属先については日本政府との対立を避けている[19]

1953年11月24日、中華民国外交部が「将来の琉球群島の処置については何ら規定されていない。よって中国政府は米国によるサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)が日本の琉球における主権を剥奪するものではないといった解釈には同意するわけにはいかない」として、琉球人による民族自決によって帰属先が決まるべきであるという意見を在中華民国アメリカ大使館に伝達している[20]。またケネディ大統領が琉球諸島の剰余主権を認め、日本に対して返還をおこなう方針を明言すると、中華民国外交部はこれに反発している[21]

中華民国政府はこれ以降も琉球諸島における日本の主権を承認せず、1972年の沖縄返還後も那覇市における中華民国の海外公館的存在「中琉文化経済協会英語版駐琉球弁事処」を存続させていた[22]。2007年、民主進歩党政権下において中琉文化経済協会駐琉球弁事処は廃止され、「台北駐日経済文化代表処那覇分処」が新たに設置された。これは中華民国政府が琉球諸島における日本の主権を認めたものと見られている[22]

琉球独立運動

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琉球独立運動の日本国内の団体は、先住民の民族自決権や自己決定権をもとに琉球独立の根拠とする場合があるが、中華人民共和国における琉球地位未定論は、あくまでポツダム宣言等が根拠になっており、沖縄の領有権や地位は戦勝国が決めるものということであり相違がある。 また、沖縄には沖縄県民が先住民であるとする琉球人先住民族論が存在する。

書籍

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  • 劉丹『琉球地位——歷史與國際法』[23]
  • 羅歓欣『国際法上的琉球地位与釣魚島主権』[24]

脚注

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出典

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  1. 「沖縄地位未定論」と中国の真の意図:野嶋剛 | 記事 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト
  2. 冲绳一词开始淡出视野,中国提出琉球地位未定论,时机已经成熟?_日本_问题_主权
  3. 1 2 3 4 5 法理留白與大國博弈:北京重述「琉球地位未定」的戰略邏輯/魯云湘
  4. 新たな対立の火種に 沖縄帰属めぐる人民日報論文 (1/2ページ) - 産経ニュース
  5. 細思極恐!中國想的不止是台灣?女戰狼發文「琉球地位未定」 立馬升官
  6. 1 2 林, 泉忠 (2024). “牽制日本介入台海?——中國「琉球牌」的來龍去脈」(上)(中)(下)”. 『明報月刊』 (10月・11月・12月号).
  7. 1 2 3 罗欢欣:论琉球在国际法上的地位未定_爱思想
  8. 沖縄も「対日カード」か 習近平氏の「琉球」発言が波紋 人民日報1面 - 産経ニュース
  9. 抖音上,中國對日本的「沖繩認知戰主旋律」:該回歸的不只台灣?
  10. 1879年以来琉球法律地位始终未定——在第四届琉球.冲绳前沿学术国际研讨会的致辞|张海鹏 - 知乎
  11. 环球时报:琉球地位未定,咱自己可不能叫“日本冲绳” - 时评 - 红歌会网
  12. The undetermined status of Ryukyu - CGTN
  13. 第1回国会 参議院 外務委員会 第3号 昭和22年10月8日 | テキスト表示 | 国会会議録検索システム”. 2025年10月4日閲覧。
  14. 赤嶺守 2013, p. 34.
  15. 赤嶺守 2013, p. 50.
  16. 赤嶺守 2013, p. 49.
  17. 赤嶺守 2013, p. 31-32.
  18. 赤嶺守 2013, p. 35-36.
  19. 赤嶺守 2013, p. 36.
  20. 赤嶺守 2013, p. 48-49.
  21. 赤嶺守 2013, p. 49-50.
  22. 1 2 赤嶺守 2013, p. 53.
  23. 琉球地位——历史与国际法 中国語版 刘丹 著 (著) 海洋出版社 ISBN 7521003454
  24. 国际法上的琉球地位与钓鱼岛主权/編著者:罗欢欣/出版:中国社会科学出版社/出版年月:201512 ISBN 978-7-5161-7502-6

参考文献

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  • 赤嶺守戦後中華民国における対琉球政策-1945年~1972年の琉球帰属問題を中心に-」『日本東洋文化論集』第19巻、琉球大学法文学部、2013年、ISSN 1345-4781NAID 120005255499 

関連項目

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